知り合いの、というより本妻の子である兄が最初はやってくる予定だった。
しかし、兄……雄成さんは、もっと違うバイトをしたいとかで他の知り合いに頼んでくれた。
それが、雄成さんの大学の友人の友人という微妙に遠い間柄の人。
その人が、俺の家庭教師となった。
母は、初日にその家庭教師に会って、悲鳴を上げた。
何事かと思って母の居たリビングにやってきて、俺は絶句した。
世の中には、こういう眩い人種もいるんだなというような…美人とか綺麗とか美形とか、とにかくそういう言葉で表せる範囲を逸脱している男がいたのだ。
もちろん、悪い意味で逸脱しているわけではない。
俺は母をなんとか落ち着かせ、思わず、私生活に弊害が出ませんかと尋ねかけ、口を閉じる。
変な宗教は出来てしまうかもしれないが、変質者につけられても、触ることさえできなさそうである。
遠巻きに見るのが一番といったかんじの男は、慣れているのか、それとも鈍いのか、少しだけ笑んでこういった。
「市橋くんから紹介されて来ました、殿白河伊周です」
のちのち、俺と二人きりになったとき、ずいぶん砕けたというか、乱暴になった口調で、俺に『トノ』でいいといってくれたので、俺はトノ先生とよんでいるのだが、その、トノ先生の声を初めて聞いたとき、神は二物を与えないという言葉を思い切り否定した。
その上、雄成さんからは、出身高校、在籍中の大学の名前を聞いていたため、この男、完璧じゃないだろうかとさえ思った。
だいたい、殿白河というのが、俺の知っている殿白河であるというのなら、トノ先生はえらく金持ちのおぼっちゃまでもある。
これでいて運動なんてできたらたまったものじゃないなと思っていたら、のちに、その運動神経もみることとなり、この人逆に誰も寄り付かないだろうなという感想を抱いた。
ハイスペックすぎる家庭教師は、実際話してみると大変フランクで付き合いやすく、口調が乱暴であるとか、少しわがままそうにみえ、偉そうにも見えるのだが、無意味に怒鳴ったり威張ったりけなしたりすることはないため、性格も悪くはないのだろうと思った。
こんな人間が世の中に存在していていいのだろうか。
そんなことを思いながら、テキストに向かっていると、トノ先生の携帯がなった。
トノ先生は俺に断りを入れたあと、その電話をとり、息を詰める。
何か悪いことでも起こったのだろうか。
そのあとのトノ先生はちょっと支離滅裂なことを言っていて、焦っているのかなとも思えた。
そんな大事なことがあったのならと思い、俺は今日の課題を急いで終わらせた。……トノ先生は律儀なところがあったのか、帰れと勧めても帰らなかったからだ。
トノ先生が帰ったあと、俺は机に向かっている気になれず、棚からDVDを取り出そうとしていた。
すると今度は俺の携帯が鳴った。
「もしもし」
『京一?どやった、トノちん。芸術作品やったやろー?』
雄成さんからの電話に、俺は内心ちょっと浮かれつつも、きっちり答えた。
「勉強に身が入らなくなったらどうするつもりだったんですか」
『せやねぇ。でも、皐様とか、那須とか、鬼怒川とか、高雅院センパイとか……とにかく、あのあたりはお前、ホントに身ぃ入らへんかもよ』
あれ以上の傑作でもいるというのか。俺は疑問に思いつつ、軽口をたたいた。
「雄成さんほどじゃないですよ」
『なんや、やらしいことしたくなるとかそういうん?定番やわー。バカっぽいからそういうのんやめたのがええで』
そういうつもりではなかったが、雄成さんがいたら、勉強どころでないのは確かである。
「いえ、雄成さんがたぶん真面目にやらないんで」
『こんなに真面目やのに』
電話口で雄成さんが笑った。
ああ、会いたいな。
そう思って、ため息をついた。