今、会いにきた。


バタン…と事務室のドアが開く音がした。
彼はソファーの上で身じろぎする。
もう、そんな時間なのか。
「所長、聞いてくださいよ。今日、天使拾っちゃったんです」
そういってカーテンを開けた青年の方がよっぽど『天使』だと拾われた『天使』も思ったに違いない。
薄い毛布とまぶたでは遮ることの出来ない陽光を感じながら、彼は丸くなり毛布の中に逃げる。
陽のひかりで天使の輪をつくる白金の髪と、薄いブルーグレイの瞳。
瞬きをするたび音を立てそうな長い睫毛。
少し厚い唇と高くも低くもない鼻。
少し眩しそうにすると、睫毛が影を作り、口角を上げれば優しそうに笑う顔。
これを天使と形容せずに、なんと言ったものだろう。と、詩人のようなことをなんとなく思いながら、彼は漸く、身を起した。
「天使ねぇ…」
薄い毛布を身体からはいで、彼はゆっくりと簡易キッチンへと向かう。
「あー…でも、所長みると、急に現実を感じます」
「いい男で目が覚めるって?」
「小汚いおっさんじゃ、千年の恋も冷めますね」
まだおっさんというほどの年ではない。彼はあえて、それを訂正しなかった。
昨夜の仕事が終わってすぐに寝付いた彼の格好は青年の言うとおり、小汚かった。
衿のよれたTシャツ。オシャレなのか勝手に破れたのか解らないジーンズ。ベルトは
寝るのには邪魔で抜いたため、ズルズルと落ちる一方。
またやせたのか。それともジーンズが緩んでいるのか。
落ちるジーンズを片手で支えつつ、簡易キッチンに向かうその横顔は疲労困憊。
昨夜も仕事が長引き、寝たのは昼前で、おきたのは青年がこの事務室にやってきた五分前。
目のしたにはクマ。顎には無精ひげ。
小汚いといわれても仕方がない。
「所長〜。先ほど電話がありまして、一時間後だそうです」
「…何が?」
「よくわかりませんけど、それで解るだろうって…」
簡易キッチンで歯を磨いていた彼は、口を濯ぐと、青年に振り返り、少し眉間に皺をよせ、こういった。
「もしかして…少し、ヤンキーっぽい、だるそうな声の兄ちゃんだったか?」
「あ、はい。所長、お知り合いですか?」
自身の輪郭をなぞり、彼は呟いた。
「まぁ、たぶんそうだろうな」
彼はロッカーを開け服を物色した後、ロッカーの鏡をみた。
疲れた顔をしているな。なんて思いながら、溜息をついたあと、青年に財布を投げた。
「そこのコンビニで髭剃り買ってきてくれ、至急」
髭剃りとシェイビングクリームを買ってきたあたり、青年は優秀なアルバイトだな。
などと思いながら、彼は久しぶりに髭をちゃんと剃る。
青年も髭がない彼というものを見たことがなかったため、少し楽しそうに彼を見ていた。
「見ても、男前しかいないんだが」
「全世界の男前に謝ってくださいよ」
そこまで全否定しなくてもいいだろうに。とは思うものの、肯定されても、自分自身の発言が薄ら寒いので、彼は全否定については何も言わない。
彼は髭を剃ってしまうと青年に顔を見せることなく、服を着替える。
先ほどきていたものとあまり代わり映えはないチョイスであったが衿はよれていないし、ジーンズは明らかにヴィンテージで、サイズの合ったオシャレなものに変わった。
ベルトもバックルがごつい飾りベルトになり、衿のよれていないTシャツはシンプルながら、とても彼のスタイルのよさを目立たせた。
「……所長、顔も見えてないのにすでに別人の域です」
「気のせいだろ」
髪を整えた後、ワックスで軽く流し、彼はもう一度ロッカーをあけた。
やはり顔は少し疲れているものの、先ほどとは違った顔をした男の顔があった。
ジャケットの袖に腕を通し、彼が青年に振り返ると、青年は唖然とした。
「いつ、偽物と入れ替わって…」
「何を失礼なこといってんだ」
財布をビニール袋から回収して、机のうえにおいてあった腕時計を右手につけると彼は一つ、溜息をついた。
「おっさんじゃなかったろ?」
「…や、確かに、おっさんじゃないですけど、そこは今、問題じゃないんじゃ…」
男前だったんですねぇ。だなんて感嘆の溜息。天使のようなといわれる青年に褒められても嬉しいと思えない彼は、青年とは違った意味で溜息をついた。
「今日は、臨時休業だ。今から帰れ」
「って、ええ?きたばっかりというか、無駄足じゃないですか、僕」
「そうだな、有給くらいにはしといてやるから、さっさとかえれ」
「酷い!なんなんですか、所長横暴です!」
といいつつも、帰り支度をいそいそと始める青年が小憎らしい。
机からバイクの鍵を出しながら、青年の様子を眺め、カーテンを閉めているときだった。
バタン!
と、事務室のドアが乱暴に開いた。
「…ケータリングサービスだ」
そこには、目つきがわるく、少しヤンキーのような、だるそうな声の男が立っていた。
青年が『一時間後』の人だ!と気がつく前に、男は事務室のローテーブルにお重を置いた。
彼は、額に手を当てたあと、口を開いた。
「…一時間後?」
「待ちきれない俺を察せ」
「無理だろ。最初から『一時間後に』なんて気がなかったんだろ」
青年は彼と男の話を聞きながら、どうしていいのか解らず、ただたたずんでいた。
「すまん、帰っていいぞ」
「あ、はい…」
青年に見向きもせずに、男はお重を勝手に広げていく。
エビチリ、ホイコーロー、天津飯に、バンバンジー。シュウマイ、餃子に、トリのから揚げ、八宝菜。チンジャオロースに、もしかしたら卵のスープもあるのかもしれない。
デザートにはゴマダンゴとモモマン。白いのはもしかしたら杏仁豆腐かもしれない。
見事すぎて、やはり青年はただ呆然とたたずんだ。
気のせいか鼻をくすぐる香りも食欲を呼び起こしているようだった。
「多い」
文句を言ったのは、彼だった。
「察せ」
「無理言うな……そうだ」
彼は簡易キッチンの棚から何処からともなくビニールパックを取り出すと、お重の見事な食べ物を詰め始めた。
詰め終わると、呆然としていた青年にそのパックを持たせ、さっさと事務室の外へと追い出した。
青年は彼の食べろの言葉だけ耳に残し、無意識のうちに家に向かって歩き出していた。
「なんだろう、あの、嵐みたいな人…」



「お前、いい加減に俺のダラダラした姿見ようとするのやめたらどうなんだ?」
「……無理だ」
「無理じゃないだろ。見たことあんだろうが。汚ねぇ以外の何もんでもねぇよ」
「…嫌だ、最高に可愛いから嫌だ」
「いいご趣味だな…」
「それに、そういうときのが、余裕なくて、イイ」
「うわぁ、イーイご趣味すぎんだろ。俺としては大事にしたいとこなんだが?」
「普段大事にされてる。最近お前、落ち着きすぎでつまんねぇ」
「落ち着いたっていいことじゃねぇの?」
「…もっともとめられたいもんで」
「ふーん?」
「笑うな」
「無理」

PM top