ある冬の晩、寝る前に鬼怒川が言った。
「明日は、朝昼晩、飯はいらない。でも、甘味だけは…甘味だけは用意して欲しい」
懇願するようなセリフだった。
それは、二月十三日の出来事だった。
翌朝起きて、気がつく。
山奥の男子校なのに、チョコレートにそわそわしている道行く生徒たち。
そうか、バレンタインデーか。
友チョコ義理チョコ本命チョコ。
男にとっては甘いものが好きでなかろうがそわそわする日だ。
鬼怒川もそれであんなことを言っていたのだろうか?しかし、あの男は毎日がバレンタインといっていいほど毎日甘いものを食っている。
今更いうことでもない。
靴箱に投げ入れられた市販の菓子を眺めながら、俺は適当にそれらをカバンの中にいれていく。
教室のロッカーも、机の中も上も、菓子で埋まっている。
どれも市販であるのは、風紀が『異物混入を避けるため、手作りを禁ず』といって、手作りを禁止してしまったためだ。手作りはこっそり渡されているが、そこまでは風紀も関与しない。
しかし、こうしておいておく菓子類は全て市販品だ。
それ以外は見かけ次第没収される。
一粒いくら?というチョコレート。
俺はここまで食えないが、どっかの同室者は喜んで食うだろうなと思ってただカバンに収める。
毎年のことながら、チョコレートが一割、甘いもの二割、甘くない菓子がその他ときた。
このうちわけ。俺の外観イメージが大きく要因しているんだろうな…と思いを馳せたところで、ふと、気がつく。
あの無類の甘党は、甘いものなど一切もらえないに違いないと。
俺の予想は大方アタリだった。
俺が部屋に戻ると、大量の包装紙と大量の箱や袋、大量のその中身を前にため息をついている鬼怒川がいた。
「…甘くないケーキなんて出しやがって…」
今流行りの甘くないケーキ…甘いどころか、惣菜パンとしかいいようのないケーキを大量入手し、挙句、高級せんべいやら、よくて甘さ控えめ、一割に満たない程度にビターチョコ。コーヒーセットなんかもある。
「…おもんぱかっての行為だろ」
「弁当の大和撫子の噂のせいで減ると思ったんだ…何故か、甘いものを減らしてきて、量は変わらなかった…」
「甘いものはその、大和撫子にもらうと思ってたんだろ?」
「……で、その大和撫子はくれるのか?」
「俺のもらったやつでいいか?」
甘いものを並べてやると、少し嬉しそうでいて、少し残念そうな顔をする。
「本命には貰えないもんだな、大和撫子」
「毎日がバレンタインのクセして、ねだるんじゃねぇよ。むしろ、ここは俺に感謝の意を表して、逆チョコしとけよ。逆チョコ」
少し間があって、そこのあたりに置いてあった鬼怒川のカバンから、無造作に投げられるシンプルなラッピングの何か。
「なんと、生徒会長様と手作りだ。感謝しろよ?」
「…トノ会長はまた、悩んだ挙句てめぇを巻き込んだんだな」
「ああ、実験台にまずいチョコレートと格闘して、結局俺も作る羽目になった」
包装をあけると、そこには綺麗に並んだトリュフ。
一つ食べてから頷く。
「はじめてにしちゃ上出来」
「そりゃありがたい」
俺が渡したチョコレートを早くも食べながら、鬼怒川はおざなりに返事をした。
そんなもんだろうよ。
「じゃあ、大和撫子からは、チョコのお礼に、ホワイトデーは三倍返しにしてやるよ。三段の生ケーキとか」
「ウエディングケーキかよ。つうか、三段も魅惑だが同じ種類のケーキ三段はなァ…」
「ワンホール三種」
「のった」
俺にキスして上機嫌な鬼怒川がなんだか可愛く見えて、押し倒しておいたが。
なんか、そういうマジック働いてんだろな、バレンタイン。