生きている人間は、どんなに悪口をいわれようと、言われた人間が仕返しなりなんなりするだろう。
しかし、もうない人ならば、それはできない。
故人の考えを汲み取れば、悪口程度で何かするほど暇ではないし、皮肉に笑うだけだろうと思える。
近しい人だった。
仲が良かった。
だからこそ、分かっている。
この程度のことで怒りもしなければ、無視を決め込む人であるということ。
それでも、俺が手を上げるのは、苛立ちがピークに達したからだ。
本人が笑って済ませることでも、俺には腹立たしいことなのだ。
つもり積もれば、ストレスもたまる。
何の関係もない人間に手を出すのは、後味が悪いし、今後のことを思うとたいへん心象が悪い。
けれど、原因を作った人間に手をだすことは、理由をつけることができる。
それを計算した上で、八つ当たりとストレスの発散をしたのだ。
もっと、健全にストレス発散しろよと、幼馴染が何度かぼやいていた。
相変わらず煩い食堂の近くにある業務用の通路を通っていると、俺にビクビクしながら近づき、ある程度の距離をとって、教育実習生が挨拶にきた。
実習期間が終わったことと、非礼の数々を詫びるものだった。
「……あのな」
俺は実習生に近づく。
八つ当たりをした。ストレスの発散をした。
……それなりに悪いとは思っている。思っていても、その行為をやめはしないが、悪いと思っている。
俺は手を伸ばし、実習生の髪をなでる。
誰かとは違って、指通りがよく、ずっと触っていたくなる感触があった。
「俺もやりすぎたし、神城は俺のことを庇ったりもしねぇし、俺のほうこそ、にくまれて当然だ」
◇◆◇
「う、あ…ヒサヤさん…なんでなん…なんで、センパイたらしこんどるん……」
ぐったりと、ベンチに座って呟く。
同じようにぐったりとベンチに座っている先生が、俺に答えをくれた。
「ヒサヤさんのたちの悪いとこだよな…ああやって、たらし込んでいくんだよ、過剰の反撃なのに…」
「ううーああー…ヒサヤさぁあん」
正直、走って行って抱きついて、ヒサヤさんは俺のものです!と主張したい。
ヒサヤさんにウザがられるのが死ぬほど嫌であることもあるのだが、今はそんなことができる身体ではない。
昨夜のヒサヤさんは激しかった。
現役ヤンキーであり、それなりに腕に自信があった俺でも最終的には地面に転がされ、引きずられるようにしてとある部屋のベッドでそれはもう。
今考えても、身体が疼きそうだが、疲労と痛みで身体がそれどころではないと訴えている。
「センパイの髪なでるのやめてくれひんかなぁ…センパイなんや恋する乙女みたいになっとるやん…吊り橋効果やん……あ、でも、恋はせんわな、糸杉センパイおるもんな…」
「あーこえぇこえぇ。あれで落ちたも同然だな。散々な目にあったのに…」
「今朝、起きたら、『お前の先輩案外可愛いな』いうてましたし…うあああ、俺、振られたらどないしょう!びぼーでいうたら、センパイのがうえやし、性格の悪さも多分上やし!」
ベンチにすがりつくようにして嘆く。
先生は、首を横にふった。
「男の美貌で振り向いたりしないだろ、あの人。つーか、性格の悪さで惹かれたりもしないって、どんだけ悪食だよ。いや、悪食だとはおもうけど。つうか、園美とおまえって、たぶん、おまえのがいい性格してるよ」
今日も、ヒサヤさんは格好いい。
最高に格好いい。
たとえ悪食でも、性格が激烈に悪くても、俺がいるって知っていながら、見せつけてきても、本当に、最高にカッコいいのだ。
「こうなったら、俺、キューティクルが天使の輪になるくらい、ヘアケアを…」
「その努力無駄になると思うぞ…」
実は、ヒサヤさんが、やっぱりあのダメージがある指通りわるい髪がいいとか思っているとは、露知らず、俺はヘアケアを真剣にググることを誓ったのである。
ああ、それにしても、ヒサヤさんが格好いい!
おわり。