昔からずっと兄が好きだったかというと、そうではない。
俺より三年も先に生まれた兄はなんでもできた。魔法以外、そう、なんでもだ。
俺たちは魔法さえできれば崇められて当然の一族に生まれた。それは兄にとって不幸で、俺にとっても不幸だ。
俺は待望の次期当主として育てられ愛情なんてものはしらなくて、兄は期待外れの家の恥として、蔑まれて育った。
兄も俺も愛情というものを知らなくて、兄は少しでもましになるようにと学んだ。俺はただ、兄のようになるのはいやで机に向かった。
たとえ兄が魔法を使えなくても体裁を気にする家の考え方に則し、兄はそれはもう貪欲に学んだ。
兄と俺の差はそこからできていた。
まず最初にそれを言ったのは教師だ。
「一織さまならできたのに」
普通の家の子供が行くような学校に行かず、家庭教師をあてがわれた俺と兄はいつもそうやって比べられた。
教師のいう兄は蔑まれている兄とは別人の何かで、魔法がすべてではなかった教師はいつでも兄を誉め讃えた。
兄なら一度でできた。兄なら完璧だった。
次は本家に遠い大人たちが、言う。
「兄ではなく弟が特殊体質ならよかったのに」
俺は常に不出来な弟だった。
当然のように、俺は兄を憎んだ。
兄さえいなければ、いや、兄さえ分不相応なことをしなければ。
嫌いだった。
常に前を行き、俺を不出来にしてしまう兄が、嫌い、だった。
あまり会うことのない兄に不満をつのらせていた俺が変わったのは、兄に助けられてからだ。
兄は、いつも魔法を使えないという理由だけで、本家に住まう子供たちにいじめられていた。
兄より年上もいれば、兄より年下の子供もいる。ただ、兄を蔑んで、しようもないいじめをしていた。
兄が使うものを隠す、捨てるのは当たり前で、兄はこのせいであまり私物を持つということをしない。持っていても執着をしないのだ。
出歩けば何かを投げられたり、足を引っ掛けられたりは当たり前で、時に八つ当りで殴られたりもしていた。あの頃、兄は何故自分がこんな目に合わなければならないのかと非難できるような環境と状態になかったのである。
兄は、馬鹿にされることも、殴られることも普通のことだと思っているふうにみえた。
しかし、殴られたら痛いし、本当はそこにいた子供のなかで誰より頭のよかった兄が馬鹿にされるのは、悔しいことであったらしい。
兄は益々、知識に対し貪欲になったし、痛いことを避けるようになった。
それは気配を殺すということや、人の気配に敏感になり身をひそめるということ、ただ殴られるという状態にならないよう防御すること、よけることに繋がったのだろう。
単純に、書庫に籠もることもできたはずだが、顔をだすなといいながらも体裁を気にする両親に従い、籠もりきることは不可能だったせいもある。
兄が書庫に篭っているなんてことは、両親にとって不都合なことであったし、兄など俺には気にする必要のないクズのように言っていたのだから、俺がそのことを知るはずがない。家のことをする人間しかそれを知らなかった。
隠しているといってもいい。
普段は、まるで兄の存在など元からいなかったかのように扱っていた。
だから、営利目的なのか恨みつらみで行われたのか、今となってはよくわからない犯行をして、俺を人質に書庫に篭った犯人は兄がそこにいることを知らなかったのだ。
俺は魔法が使える天才児ともてはやされても、魔法さえ使えなければただの非力な子供であった。
魔法を封じられた俺は、簡単に人質にとられた。
俺の家は、古くから魔法を武器とし、魔法を糧として生きてきた一族だ。旧家というにふさわしい風格と、財力を持ち、命を狙われるようなことも多々してきたし、恨まれるようなこともしてきている。
だから、犯人が書庫に追い込まれてしまうほどピンチになるのは当然の成り行きだった。むしろ、犯人が俺を人質に取れたことの方が不思議なくらいだ。
書庫に追い込まれた犯人は後継を盾に、逃げようとしていた。
一族の当主、俺の父は、待望の後継さえも、また産ませればいいという程度に思っていたに違いない。
父はまだ若かったし、母も若かった。
あと一人や二人産めばそれでいいと思っただろう。
まして、神童扱いされているとはいえ、魔法以外兄に勝ることのできない不出来な息子など、切って捨てればいい。
書庫に篭った犯人の要求は一つも通らなかった。
「待望の後継のくせに……ッ、この、役立たずめ……!」
俺が待望の後継だったのは、こうして父の手を煩わせるまでの話……いや、もしかしたら、いつまでたっても兄を超えることができない俺に見切りをつけようと考え始めたあたりまでの話だったのかもしれない。
俺はぼんやりとそんなことを考えながら、犯人が俺を殴ろうとしている姿を見ていた。
「……それ、一応、俺の弟なんだが、やめてもらえねぇかな」
上のほうからだったと思う。
声がした。
声変わりはまだで、我が家には相応しくないと思える乱暴な口調だ。
犯人はその声に驚き、上を見上げた。
本が次から次へと落ちてくる。
本棚の上だった。
犯人の顔をめがけてハードカバーの本が次から次へとぶつかる様子は壮観だったし、本棚を上で本に混ぜてペーパーナイフまで投げた兄は強者だったとしかいいようがない。
そして、兄はコントロール力もすごかった。
「いくら非力な子供でも、上から落とすのは簡単だし、重さと高さが味方してくれると思わねぇか」
随分あとに、兄が語ってくれたことだ。
その時は、あっけにとられた俺の前に飛び降りて、兄は俺に触った。
それだけで、俺の封印は解ける。
兄は、俺から逃げるように、犯人に近づくとその手をとった。
兄は、まだ自分の体質のコントロールなんてできなかったから、犯人の魔法は簡単に無力化されたのだ。犯人は面白いくらい魔法が使えないことに焦った。俺の封印が解けたことにも焦っていただろう。
兄を振り払った瞬間に、俺の魔法が犯人を襲った。
兄を振り払いさえしなければ、体質のコントロールができない兄によって俺の魔法は無力化されたはずだ。
兄は、振り払われると解っていて犯人の手を掴んだのだ。
兄は、その時から、俺にとって、神様みたいな、ヒーローみたいな、とにかく、その上に何もいない存在になった。
俺の魔法をいいタイミングで無力化して犯人をそれとなく助ける兄に、俺はきく。
「どうして助けたんですか、兄上」
「一応、弟だから。あと、嫌がるくせに、お前は、何もしねぇし」
「……そう、ですか」
一応とつくのが、嫌だなと思った。
「あと、もう一つ。お前も、そう変わんねぇみたいだから」
今頃、父上と母上、コヅクリしてるかもな。なんて笑う兄は、たぶん、この家のことは諦めていた。
たぶん、俺が助けられなかったときから、無理なのだと悟ったのだと思う。
兄は、俺より賢い人だから。