「良平さん、もう無理。もうダメ。耐えきれねぇ」
こっそり窓から入ってきた駄犬を、部屋に置いてある冷蔵庫を開けながら見つめる。
駄犬は俺に飢えていた。それはもう、切羽詰って、いつもの敬語もなりを潜めるほどだ。それでも『よし』を待っている駄犬は健気かもしれない。
しかし、俺はミネラルウォーターを取り出しながら、言い切る。
「ハウス」
「嫌だ」
「いや、マジ帰れよ。邪魔だろ。俺は、今何してる?」
「水飲もうとしてる」
「その前」
「冷蔵庫あけた」
「その前」
「……風呂入ってた」
「その前」
「……勉強してた」
「で、俺の今からすることは?」
「…………勉強」
「はい、お利口さん」
俺は一口水を飲んだ後、駄犬を無視して机に向かう。
駄犬はキューンとしっぽを丸め、部屋の片隅に小さくなって座っていた。
帰らないあたりが、本当に、今日は耐えきれないらしい。
武芸では駄犬のほうが腕前が上である。駄犬といえどそれなりに賢い駄犬は、俺を襲えば勝つことだって、飢えをみたすことだって出来ただろう。
だが、それなりに賢いが故に、駄犬は俺に襲いかかれない。
俺は机に向かったままため息をついた。少しくらい構ってやってもいいのだが、駄犬が耐えられなくなるほどの放置具合だ。俺もそれなりに駄犬不足である。少しで終わるはずがない。俺だって駄犬とたまには戯れたい。
そんなわけで、机に向かっても駄犬が気になり、勉強にならなかった。
しかし、俺は、今しなければならないことを知っている。
「ハウス」
「……」
振り返らず、もう一言投げた。
駄犬はしょんぼりしたまま、とぼとぼと入口にした窓を出口にした。
翌日、駄犬は朝からキューンキューンとしょんぼりしたままだった。
「良平、なんやまた、あれやろ。冷たくしたやろ」
「邪魔になるんだよなぁ……俺のわかる範囲にいられると気になって」
「しっぽめっちゃ丸いままやんかわいそうやん」
「そこが可愛いだろ」
「ややわー良平くんひどいわー」
「自覚はあるから大丈夫だ」
その晩、本気で俺の邪魔になることは嫌な駄犬が俺の部屋を訪ねることはなかった。
だが、今度は俺が呼び出した。召喚したのだ。
俺に呼び出されて、期待に目を輝かせるものの、少しすねた態度を取ろうとし、すぐに俺に飛びつくようなまねをしなかった。しかし見えないしっぽはおもしろいくらいふられている。かわいいものだ。
「青磁、こっちにこねーの?」
「……良平さん、俺だってそんな都合のいい……」
「せっかく『待て』ができたお利口さんを甘やかしてやろというのに、また、帰るか?」
一瞬絶望したような顔をした。
「いやだ、絶対いやだ」
あー可愛いな、俺の犬。
しみじみ思ってしまうのは仕方ない、可愛いのだから。
嫌だと言いながら、俺に抱きついてきた駄犬の頭を撫でたあと、思う存分駄犬を堪能する。
頭、髪の毛、首、肩、背中、腰……と撫で回していたら、駄犬が腕に力を入れてきた。
「おい」
「久しぶりだから」
そんなことするほうが悪いといいたいのだろう。
耐えるような声に、耐えるために腕に力を込めただろう駄犬は今度は別の意味でしっぽを下ろしている。
本当に可愛いものだ。
「ホント、お前って駄犬だよな」
「りょ」
「馬鹿ほど可愛いもんだけど」
俺は駄犬をそういう意味で撫ではじめる。
「お利口さんにはご褒美やらないとな」
翌朝までベタベタに甘やかして、駄犬のやりたいようにさせておいたし、俺も駄犬を構い倒したのだから、駄犬は翌日、元気にしっぽを振っていた。
「今日は、わんこご機嫌やねー」
「構い倒した」
「うん、なんか、あの、ちらっちらっと見える虫刺されがもう、物語っとうよね」
「かわいいだろ、あれ、自慢してるんだぞ?」
「いや、もう……ごちそうさまです……」