ヒーローの格


「あらあら、いっちゃん、また転けたの」
頷くと母は決まって、困ったような顔をした。
本当は、いじめられているということを母が一番知っていた。
取り返しがつかないような状態になれば、母だって俺の言い分を退け、どこか遠くに引っ越したりしていただろうが、俺が無言で耐えるということで戦おうとしていたことを知っていたから、俺を励ます為に、決まって俺が転けて帰るとヒーローの話をした。
俺があまりに、そのヒーローのことが好きすぎて、母は、つい、そのヒーローが実在していることを俺に教えてしまった。
それからと言うもの、俺はどうしたらヒーローに近づけるか、どうしたら、ヒーローになれるのか、どうしたらヒーローに気に入られるかを必死に考え、強い男になるとがんばった記憶がある。
だが、俺のヒーローはけして、正義の味方ではなかった。
母は、このままでは、息子は兄の……雄成さんの手下になってしまうのではないか危ぶんだ。だから、兄だと教えてくれた。
そうして俺は、複雑な家庭環境にぐれてしまった。
だが、ぐれた結果が、この兄と恋人になるという、ヒーローを夢見ていた少年にはどうやったって理解できないだろうことになった。
兄は、性格が悪かった。
本当に性格が悪かった。
好きだといえば付き合ってくれると兄は笑う。
俺は、兄に好きだといえないで、どうしたらいいか解らず迷うばかりだったのに、兄は、答えを待たずにこう言ったのだ。
「わっかりやすいわぁ、京一クン。せやったら、別れよか」
分かりやすいというのなら、つきあってくれてもいいのに、兄は、雄成さんは、にやにやと笑いながら、俺を見下す。
「答え、出されひんのやろぉ?」
「ちが…っ」
「ほなら、いうてみぃや。ほら、はよ」
「……、…ッきです…っ」
なんとか絞り出した言葉は、掠れて聞き取りにくかった。
雄成さんは、俺を鼻で笑う。
「もっとちゃんとや」
息ができなくなると思った。
好きといっても、これが恋なのか、あこがれのヒーローに対するものなのか、兄に対する複雑な感情なのか、よくわからない。
でも、雄成さんをここで逃したら、俺は死ぬほど後悔する。
それだけは、よくわかっていた。
「好きです…っ!」
「よういうたなぁ、京一クン。ご褒美あげたらなあかんかなァ……」
そのご褒美が強烈な蹴り一発だったのだから、たまらない。
「今後一切、サクヤのこと口にださんこと、接触せんこと」
俺は、すっかりウザったさが吹き飛んでしまった雄成さんを見上げながら、思わずうっとりとしてしまった。
格好良すぎて。
「今回これで、チャラや。おつきあいの方は、まぁ、気ぃ向いたら、かわいがったるわ」
ああ、好きって言ったのに、この仕打ち。
まさに、俺が知ってるヒーローである。
「返事は?」
「はい……」
うっとりしたまま答えた俺に、雄成さんは満足げに頷いて、帰っていった。
こうして、俺は、一応、兄に、雄成さんに、手に入れられたのだった。




ピンチ番外top