すっかり板倉と仲直りをして、生徒会室でいちゃつきながら、三谷が聞いてきた。
「会長さぁ、ほんと、どうして一匹狼くんが好きなの?」
俺は少し、考える。
「どうして、なぁ」
俺の遠田への気持ちは、恋の吊り橋理論だと思う。
吊り橋となるものが遠田であるのだが、ストックホルム症候群のように、たとえ原因が恋をした人間にあっても、俺が恋だと思い込んでしまったのなら、思い悩んだ分深みにはまるだけだ。
あれが、吊り橋理論と同じであるならば、俺の遠田への気持ちは嘘なのか。あれが、ストックホルム症候群に似たようなものだというのなら、危機的環境を一緒に体験すれば誰でもいいのか。
考えれば考えるだけ、そんなわけがないと否定したい気持ちと、そうなのかもしれないという気持ちが俺を悩ませる。
悩んだ分だけ、恋患っているようで、それすら脳が勘違いしてしまったのではないだろうかとか、そんなことも考えた。
「好きだから」
「その好きな理由が知りたいんだけど」
本当は、誰でもよかったのかもしれない。
俺が怖いと思う体験を、誰かと一緒にすれば、それで恋ってやつは成立したのかもしれない。
「遠田だから」
だが、俺は、それが遠田でよかったと思う。
それは、遠田が俺を欲求を解消する道具として見ていなくてよかったと安堵したことと同じだ。
もしも他の誰かでもそう思ったとしても、俺は、そうでよかったと思っただろう。
それでも、俺を揺さぶったのも、こうして俺を不安にさせるのも遠田だ。
そう、結果が遠田だったといってもいい。
過去のことを推し量ったところで、過去が変わるわけでもなし、俺は心底、遠田でよかったと思ってしまったのだから、今更他の誰かなど出てきたところで、お呼びではないのだ。
原因であり、結果である遠田は、なるほど、俺にとってはある意味最初で最後の男なのかもしれない。
「理由になってない!」
「じゃあ、お前、板倉の好きな理由いえるのかよ
」
「あったりまえじゃん」
それは偶然だ。
代えのきく偶然だ。
だが、それが嫌なわけではない。
俺はその代えがきく偶然を掴んだのだ。脳が勘違いしてようが、本物だろうが、偽物だろうが、関係ない。
俺が遠田でよかった……遠田がいいと判断したのだ。
俺に惚気はじめた三谷の話にタイミングよく相槌を打ちながら、俺は結論を出す。
間違いだろうがなんだろうが、最後がハッピーエンドなら、それでいい。
それがいい。