結局変わりない日々



新年会の日から、何日かたった。
俺は何も変わらない。
相変わらず大塚のことを考えるし、もうどうでもいいと自分自身を言いくるめられないでいる。後悔なんか時間が空くとしてしまう。
何かあてがあるわけでもないのだ。同じアパートの部屋に帰るしかないし、職場だって変わらない。たかが俺だけが拗らせてしまった恋愛くらいで変えるものでもなかった。
変わったものといえば年だったり、時間だったり、そういった勝手に経過するものや、電話番号とアドレスの着信拒否の数といった簡単にできるものくらいだ。
付き合うことに執着してしまったように、今度は別れると自分で切り出しておきながら、その返事を聞くことを拒否してしまっている。
一方的に別れを告げて、別れたつもりでも、片方はまだ、別れたことになっていないかもしれない。
俺は本当の馬鹿だ。
あちらに気持ちがないのに、そんなわけがない。
これ幸いと自然消滅に決まっている。
だから、何かを引き伸ばすようなことはしても、希望など一円ほども持っていない。
そうして変わらない、変えれない俺は、いつもどおり始発の電車からおりる。
改札を出ると同時に出てしまったため息が白い。目を細めて眺める景色は天気の悪さのせいか、灰色で、薄汚れて見える。
そんなものは気のせいで、やはり変わらぬ景色を寒い寒いとコートのポケットに手を突っ込んで歩いた。そのくせ、いつもならあるはずのシガレットケースがない。誰かにやったからだ。いつもあった感触がないことに舌打ちする。
あの日より何度もそうしてしまう。しばらくはポケットの中を探る癖が抜けそうにない。仕方なく、コートのポケットにあった鍵を手の中で弄ぶ。
すっかり鍵が体温で暖かくなってしまったころ、俺は部屋の前で立ち止まる。
社会人で、しかも生活のサイクルが違うのだから、数日顔を見なくても普通だ。まして、別れを告げた人間なら、少しは気まずく思って会わないのも普通である。
もう少しだけ、時間が欲しい。
そう思いながら、俺はそいつを眺めた。
そいつの顔を見るのは、随分、久しぶりの気がする。
洗濯機とドアの作った角に、もたれかかって、そいつは俺を見上げた。
「……篠目」
珍しく、弱々しい声だ。風邪でもひいたか。そう茶化して追い返してやろうかと思った。
そうすれば、聞きたくない言葉は聞かなくて済む。
けれど、このまま逃げているのも俺らしくなく、かつ、癪だ。
強気に出た。
「別れてくれねぇの」
どうでもいいのなら、付き合うのも別れるのもどうでもいいに違いない。
しかし、俺が考えていたものと、そいつの答えが、違った。
「別れたくねぇよ」
ポケットの中の鍵が、音を立てる。余裕なふりをしたい俺の耳に、それは大きく響いた。
「どうでもいいんじゃなかったのか」
零れていった言葉に、そいつが俺を見たまま、首を振る。
「野々村は、好きとか嫌いとか、本当、どうでもいいと、思ってた」
そういう特別を見つけるたびに、そういうものを言葉の端に見かけるたびに、俺が気分を害するのは分かっているのだろうか。隠しているつもりはない。わかっていると思う。
「篠目、すぐに、俺のこと馬鹿っていうし、帰れっていうし、なんか言いたいこと言われてる気がするのに、最後には仕方ねぇなって、すげぇ、俺だけって気がしてた」
そいつの言うとおり、特別だったし、今でも、こんな話を大人しく聞いてしまうくらい特別だ。
もしも、特別でなければ、俺は部屋にまで押しかけてくる存在を適当に扱っていたはずだ。
「野々村と一緒にいると、腹立つし、野々村には俺に言うようなこと言わねぇし」
新年会でも答えたが、野々村には言ってやる必要がないからである。
野々村がそいつよりも大人だとか聞き分けがいいとかそういうことじゃない。野々村がそいつよりもどうでもいいから、いう必要性を感じないのだ。
「俺には言わねぇのに、野々村にはいうこともあるし」
なんのことか心当たりがなく、首を捻る。
かまわず、そいつは話し続けた。
「篠目」
そいつの顔が歪んだ。
珍しいこともあるものだ、明日は雪なのかもしれない。
今起きていることを見ていることしか出来ず、俺はただそいつの話をきいた。
「どうでもよくない」
俺に向いていた顔が、俯いた。
「お前は、どうでもよくない」
俺はそいつの前にしゃがみこんで、ポケットから出した手で顔を無理矢理上げさせる。冷たい頬が濡れて、更に冷たい。
その顔はブサイクだった。
けれど、嫌いな顔じゃない。
「おかえりのちゅーは?」
一瞬、そいつが、大塚が、驚いたような顔で俺を見たあと、俺の口の端に強請ったものをくれた。まるで、チャンスを逃さないといっているようで、可愛くすら思える。大塚が可愛いなど、色目もここまできたのかとおかしくて仕方ない。おそらく、おれにだけそんなことをしてくれるのだろうと思って嬉しくなってしまう俺も、めでたすぎて笑える。
「お前は、本当、馬鹿だな」
いつもどおり、俺の口癖が滑り出す。
誰よりも馬鹿なのは俺であるが、そんなことはいつでも棚上げだ。様々なことに声をだして笑ってしまう。息はもう白くなかった。
「俺、好きだっつったのに。それとも、お前、慢心してた?」
鼻をすすりながら、俺の背中に大塚が腕を回す。大塚が何か握っていたのか背中に硬いものが当たる感触が少し痛かったが、俺は顔を更に緩ませた。
「どうしようか」
「……わかれるのなら、わかれねぇって」
「それ、片方の意思だけでどうにかなることか?」
俺の背中に回った手が、服を強く握ってきた。
先程まで、憂鬱だったのが嘘のようだ。
「でもまぁ……お前だし、仕方ねぇか。お前、時間だけじゃなくて、こういうのにもルーズなんだな。悪かったよ、気がつかなかった」
鼻をすする音を耳元で聞きながら、俺は言った。
「ワンカートンな」
「……なな」
きちんと、数を覚えていたようだ。
俺はわざと舌打ちしたあと、大塚の背中をなでた。
「じゃあ、代わりに俺のこと、好きっていって」



end


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