「いつも、そう」
イドルクはもう一度歯軋りをして、俺たちに背中を向ける。その際も、まるでここにいない誰かを睨んでいるような顔だった。
俺は痛みが首から頭に移ったような気がして、強く首をおさえる。
この痛みが精神的なものなのか、それとも俺の身体が呪いに反応したものなのか。
俺は見極めるように、イドルクの背中を見続ける。イドルクはそのまま、フォー様にも挨拶をしないでぶつぶつと呟きながら俺が来たほうへと足早に歩いていった。
俺の耳はその呟きをすべて拾う。その呟きは、王子が邪魔だという文句を延々と並べ立てたものだ。まるで呪詛のようで、ぞっとする。
「……ロノ、その……ありがとう」
「いえ、王子を迎えに行くついででしたので……」
フォー様はイドルクの背中が暗い廊下に消えてすぐ、セルディナの背中から離れた。
セルディナも少し警戒しつつ、いつまでもイドルクを睨みつけるのは止めた。そのあと小さく頭を下げる。俺はセルディナには首を振って気にするなと伝えた。
フォー様はセルディナと違い、気を変えるのが早い。俺のいったことに何か気がついたようだ。あたりを見回し、小さく首を傾げた。
「兄上、まだ迎えにいってなかったの? もうこんなに暗いよ?」
俺は向かわなければならない廊下の先に、そろりと目を向け首から頭へ手を移動する。廊下は暗く、廊下に設置された魔法道具の灯りまでついていた。今は痛くないが、頭を抱えたい気分だ。
「ええ、そうですね……」
今、頭が痛くないことが頭の痛い問題であるし、俺の従者ぶりの酷さも頭痛の種になりそうだった。今日を振り返ると本当に、護衛官とは思えない働きぶりだ。王子の護衛官から下されてもいいくらいである。
「ですが、約束ですので」
そう、それでも約束は約束だ。それにまだ俺は護衛官である。俺は王子を迎えに行こうと、二人に一礼すると再び王子がいるだろう教室がある方向に足を向けた。
「こんなに暗くちゃ、兄上、小猫とにゃんにゃんしてるかも」
俺と一緒に王子を迎えに行ってくれるつもりらしい。フォー様は俺の横に並び、俺を促すように歩き始めた。そして俺が歩き出すと、いつもの調子で俺をからかう。
「いえ、さすがに王子もそれほど手早くは……」
「……まだラグ様がわかっていないのか」
フォー様の後ろからついてくるセルディナの声が、俺を憐れんでいるように聞こえるのは気のせいだろうか。
「いや、まさかそんな」
しかし、王子の手の早さは誰かに説明を受けずともすぐにわかるものだ。もしかしたらもしかするかもしれない。
俺は足が重たくなるのを感じながら、教室に向かう。どうあっても、一度教室で王子がいるかいないかを確認しなくてはならない。たとえ、そこで王子が何をしていても、それが約束なのだから。
だが、すぐに俺が教室に向かう必要はなくなった。
教室に向かうまでに、王子の怪しい現場に遭遇したからではない。王子がこちらに向かってきたからである。
「……兄貴分はやはり、少し頼りないんじゃないか?」
嬉しそうに尾を振りこちらにやってくるユキシロに、王子はついてきていた。ユキシロが俺の臭いや気配を感知してくれたらしい。王子のしぶしぶといった足取りとは違い、ユキシロの足が軽かったところがその証拠だ。
俺は王子が待っていてくれたことを喜ぶべきか、すまなく思うべきかわからぬまま、その不貞腐れた顔を見て笑いたくなった。
王子はあくまでこちらを見ようとしない。しかし、怒っているわけでもなく、不機嫌というほど気分を害しているわけでもない。拗ねていると表現するのが、一番しっくりくる。そんな様子で、しぶしぶながらユキシロについてきていた。
「……すみません、ちょっといいですか」
「なんだ?」
拗ねていても口を聞いてくれるあたりは、機嫌をとれといわれている気分だ。これが演技なら随分かわいくないまねをされている。だが、そうでないと俺は確信していた。
「拗ねてますか?」
「お気に入りが迎えに来てくれないと子供でも拗ねると思うが」
それは子供だから拗ねるのだ。王子くらいの歳ならば、もう少し違った反応をすべきだろう。
「兄上ったら、珍しい」
本来ならフォー様のいうことにあせらなければならない俺は、ただ口元を隠す。
嬉しかったのか、面白かったのか、どちらでもいい。
俺は顔が緩むのを隠したかったのだ。
「困った方ですね」
頭痛はすっかり消えていた。