「もうあかん。今日は、あかん」
そんなことをツレに告げた後、仲間が溜まり場にしている店にフラフラと吸い込まれるようにやってきたカナメが目撃したのは、店先のメニューボードだった。
本日貸切。
昔馴染みと集まるから、この日は立ち入り禁止だと
店のマスターが言っていたことを、カナメは思い出した。
諸行無常だ。
こんな日にかぎって、クダをまく場所がない。
これが、ヒサヤと付き合う前ならば、女のところにいって遊び倒して忘れることだってできたのに。
今はそんな気すらおきない。
がくっと、見て解るほど肩を落として、カナメは店の前の小さな階段に腰を下ろす。
右手がポケットを探る。
ポケットの中にはタバコの一本、ライターですら入っていなかった。
「ヒサヤさんに会いたいわぁ…」
一言呟いて、なんて女々しい。と鼻で笑う。
ヒサヤという男は、カナメに特別意地が悪い。
それが愛情表現の一種だとわかっていても、心臓は痛いし、気にするだけ無駄だと解っていても、胃が重たい。
すぐに舞い上がるようなことをしてくれることもあるし、長い時間放置されることもある。
どちらにせよ、ヒサヤの基準で物事が動く。
カナメの気持ちも体調もお構いなしだ。
付き合う前より体重が減ってしまったのは体重計に乗らなくても解る。
「ほんま、あの人、俺のことすきなんやろか」
呟いて、やっぱり女々しいな。
と溜息をついた。
いつまでも店先に座っているわけにもいかない。
カナメは立ち上がる。
それより少し遅れること数秒。
店のドアが静かに、少し、開く。
「……営業妨害」
何かを考える前に振り返ったカナメは、ドアに頭をぶつけた。
煙草を買いに行くといって、店から抜け出そうとしたヒサヤは煙草くらい買ってきますよ!と我先に群がる連中を軽くいなし、店のドアに手をかける。
何か、ドアが重い。
無理にあけることをしなかったのは、あけようとした直後ヒサヤの耳に、ちょっと前に電話口からきいた恋人の声が聞こえたからだ。
「ほんま、あの人、俺のことすきなんやろか」
すきでなければ。
空メールが来た時点で、無視だ。
電話などしない。
いや、メールすら即座に読まなかった。
後になって、なんだこの変なメールはと、首は傾げたであろうが、けして物騒な言葉で脅しつけるような電話などしない。
重くて長い溜息のあと、ドアから気配が少し動いた。
ドアを控えめに開いて、恋人に、カナメに声をかける。
「……営業妨害」
即座に振り返ったカナメが、ドアに額をぶつけたあと
ドアにあたって痛かったんですよ。といわんばかりに
崩した表情を無理矢理矯正して笑う。
可愛いなとどうしようもないことを思いながら、ヒサヤはカナメが一瞬抑えた額を撫でた。
「痛ぇ?」
驚いていいのやら、喜んでいいのやら、電話のことで沈んでいいのやら、解らなくなっているカナメに柔らかく笑う。
「地味に」
視線をずらすカナメは、何処を見ていいかも解らず、
ウロウロと視線を彷徨わせたあと、下を向いた。
「…ふうん?」
ヒサヤはドアをまた少し開けて、下を向いたカナメの顎をドアノブにおいていないほうの手で軽く、上向くように押す。
心得たもので、素直に顔を上げたカナメの唇をしばし塞いだ後、彼は呟く。
「寝とけ?」
カナメに部屋の鍵を握らせて、ヒサヤはドアを閉める。
帰ったら、恐らく寝ることもしないでソファの上で膝を抱えながら携帯を弄っているだろうカナメを思って、ヒサヤは口元に笑みを浮かべた。
「うっわ、鬼畜」
「うっせぇ、サド」