それから数日たち、すっかり忘れていたあの本が目に入る。
 青い背表紙の本は相変わらず大事にされておらず、選別された本の下に埋まっていた。ようやく選別し終わった本を棚に入れ、整理しようとしたときに見付たのだ。
 他のどの本とも違う色合いの青さだったために、一度見つけてしまうとよく目にはいる。
 あれから、また何か文が増えていれば面白い。そう思い、気まぐれに本を開く。
『私に魔法を教えてください』
 そこには、まるで前の文と繋がらない唐突な言葉が染みを作っていた。
『お願いします』
 染みは広がるばかりで、意味がわからず、面白くもない。
 だが、本の向こう側でもこれではまずいと思ったようだ。短い言葉がいくつも繋がる。
『私は魔法の世界にいません』
『私は言葉がわかりません』
『私は魔法が知りたい』
『私の世界は魔法がありません』
『お願いします』
『教えてください』
 本の向こうにいる人の言葉を信じれば、この世界の人間ではないためこちらの言葉がわからず、魔法もよく知らない。だから魔法を教えて欲しいということになる。
 俺はまた、ペンを持つ。
『こちらの言葉は読めるのか?』
 簡単な言葉なら読めるだろう。そうでなければ、この本に文字を刻めない。
 俺は高く積まれた本の間に挟まるようにして座って書いていた。しかしさすがに、もう少し広い場所に移ろうと思い、本を閉じようと手を動かす。
 すると、本を閉じるのを嫌がるかのように、字が走った。
『読める。少し』
 急いで書いたことがわかる、単語二つの答えだ。
 おそらく、俺が数日放置したことが原因なのだろう。
 俺もペンを走らせた。
『少しでは足りない。もっと読めなければ説明しきれない』
『勉強する』
 俺はしばらく、その頁を見つめる。単語は、言葉は、どんどん紡がれた。
 『お願いします』と『教えてください』と『魔法』が多いそれらが、対の本の持ち主の真剣さを物語る。
 相手は魔法がなく、こちらの言葉に不自由するような世界にいるのだ。よくわからない言語を繰り、専門用語が多く含まれる魔法を知るというのは、大変な労力をともなう。
 こうまでして魔法を知りたい、教えてもらいたい理由を、俺は知りたくなった。
『何故、魔法が知りたい?』
 俺は狭くて窮屈な本の間で、紙面ばかりを見て待つ。
 しばらくして、硬い字が落ちた。
『悔しい』
『馬鹿にする』
『悔しい』
 馬鹿にされたと書きたかったに違いない。悔しい思いが伝わってきた気がして、俺はペンを滑らせた。
『言葉から、教える』
 また少し間があり、その頁の最後を飾った言葉に、俺は目を細める。
『ありがとう』
 紙面に踊りだした文字に、俺の気分は何故だか上昇した。
 こうして、俺は交換日記を始めることになったのだ。
 それからというもの、俺は毎日毎日、飽きることなく本を開いてはペンを走らせた。
 簡単な単語を覚えるために、好きなものや嫌いなもの、趣味や今日の出来事などを書きあう。
 あちらの本の持ち主は、まだ十二歳で、家族は祖母父母弟自分で五人だそうだ。魔法は少し使えるのだが、たいした魔法は使えず、地水火風すべての属性を使ってみたらしい。一応すべてに適正はあったとのことだ。
 あちらの本の持ち主は、要領がいいのか、頭がいいのか、努力家なのか、いつの間にか長めの文章を書くようになっていた。その上、字もうまくなっている。どうやら、もともと悪筆なのではなく、慣れない文字のせいで汚くなっていたらしい。
 こうして文字で交流していると、不意に何かが解るらしく、たまに走り書きのような答えや質問が頁の余白を埋めるときがある。そんなときが俺には一番楽しい。
 あちらが理解し、新たな発見を俺に伝えてくれるのだが解らない文字が現れるのだ。おそらくあちらの言葉である。それを見るたびに、いつもこちらに意思を伝えることを意識しているあちらの本の主の姿が見えるようで、俺はそれがとても好きだった。
 惜しむらくは、俺があちらの言葉を知らないことだ。
 俺があちらの言葉さえ知っていれば、本の主の名前も、ときどき現れる文字も読めるはずである。そうすれば、もっと楽しいだろう。
 いつの間にか、俺はあちらのことを知りたいと思うようになっていた。

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