かみあと


ある日、俺は一つの疑問を覚えた。
「木崎は、俺の名前しってんのか?」
木崎はいつも俺を渋谷くんと呼ぶ。
お陰さまで、木崎以外の親しい人間からも俺は苗字で呼ばれるようになった。
「渋谷くんこそ、俺の名前しっとる?」
木崎の名前は優しいと書いて『ゆう』と読む。
知っているからこそ、呼びたくない名前だ。
「優しくねぇよ、てめぇは」
嫌々そういうと、木崎がアハーと笑った。
「俺もしっとうよ。清吾やろーセイゴ」
名前を呼ばれた瞬間に、肌があわ立つ。
…鳥肌が立った。
「ねぇわ。おまえ一生呼ぶな」
思わず全力で否定してしまった。
まさか、ここまでとは…
「えーなんでぇ?そこまで全力否定ってなんなん?しかも、照れとかやないやんなぁ」
木崎がちょっと死にたそうな顔をした。
可愛げのない恋人でも全否定は厳しいようだ。
「他人呼ばれてるみてぇですげぇ不快」
ちょっと活路を見出したみたいな顔をする木崎。
たまに正直すぎるんじゃねぇの、木崎。
「え、それ、セイゴで慣らしていったら問題ないやん」
「慣れるまでの我慢ができねぇ」
俺はいつでもそうだ。
木崎に対してちょっとの我慢という奴ができない。
飯を一緒に食えば、俺と飯食ってんのに話し掛けられてんのが気にくわねぇ。
だから、学校で飯は一緒にくわねぇ。人前でもくわねぇ。
外を一緒に出歩くと、木崎が声をかけられるのも気に入らねぇ。
また木崎が如才無く応えるから、イラつく。
結局いつも、木崎は単体行動。
けど、頼ってこねぇのはさらにムカつくし、八つ当たりしたら避けやがるのなんて、ストレスでしかない。
夜に溜り場いくっつったら、それだけはちゃんと着いていって、木崎の観察だけしている。
一緒にいると腹が立つが、少し遠くから眺める分には、何の問題もない。
木崎とはいつも同じ場所にいても、近くにはいかない。
木崎は俺に甘く、俺の願いは大抵叶える。
「てめぇが俺に呼び掛けてんのに、他人の名前呼んでるみてぇなの、耐えらんねぇよ」
「ややわぁ。渋谷くん俺を殺す気ィやわぁ。なぁ、今すぐ噛み付いてえぇ?」
と言いながら棒付き飴を噛み砕く木崎。
欲求不満になると飴の消費が増える木崎の口元を眺め、欲情する。
木崎はヤる際、必ず俺に容赦なく噛み付く。
キスマークは吸うより噛む。
我慢できない日は腕なんか噛みやがるから、俺の腕からは歯形が消えねぇ。
夏に腕をさらすと、もう歯形にも見えねぇくらい噛まれたそこに、大丈夫かと心配される。
木崎も噛んだあとを見ては『ごめんなぁ』と薄ら寒い笑みを浮かべる。
そのたび、ぞくぞくする。
木崎の愛情表現というより、ストレートな欲求であるソレに、俺もあてられる。
だが、お預けはする。
「いてぇから嫌だ」
痛いのは確かだ。
だんだんそこだけ痛覚が鈍くなっているのも確かだが。
「残念やわぁ」
ポケットを探り、木崎が小さく悲鳴をあげた。
飴がつきたらしい。
飴がなくなりしばらくすると普段はみせないような顔をする。
普段はゆるい表情を浮かべる木崎が、イライラしはじめる。ジャンキーか。
「渋谷、飴ちゃん持ってへん?」
「持ってねぇよ」
耐えられなくなって、俺に噛み付く寸前が一番余裕がなくてすきだ。
趣味が悪いのは今更だ。
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