昔は話すことに必要性を感じなかった。
意図を汲み取ってくれる幼馴染がいて、気の合う友人もいた。
あとは歌でも歌えればそれでよかった。
本気で、そう思っていた。
それは、ある一人の人物に出会うことによって変わった。
彼が中学生のときだ。
初めて大勢の前で歌うことに緊張した彼に、ある少年がこう言ったのだ。
「死ぬ気で行って来い、やることなんて一つだ」
ステージで人を沸かして、煽って、歌っていた少年の声は、まだ少し高い。
緊張したときはどうしろ、とか、大丈夫だ。とか、そんな言葉もあるだろうに、少年はそう言った。
逆にプレッシャーをかけるような言葉を漏らした少年は、ただ笑って彼を送り出した。
ステージに立って、見渡して、まさしく、『死んだ』と思った。ただ、もう、そこに立てば、少年の言うとおりやることは一つだった。
疾走するスピードは落とさない。
喉から迸る、声も、リズムも。
気持ちが良かった。
少年は、彼がステージから降りたあと接触することもなかった。彼も、少年に接触しなかった。
けれど、いつになっても、大勢の人の前で歌うときになると思い出す。
『死ぬ気で行って来い、やることは一つだ』
確かにやることは、いつも一つだった。
彼はその後もお祭り騒ぎが好きな町のイベントごとに借り出される少年を見ては、視線で追いかけられるだけ追いかけた。
そうして初めて、彼は言葉を探した。
会話をしてこなかった彼には、少年にかける言葉を見つけることができなかった。
そこから、片言でも話そうとした。
視線で追いかける時間が長くなるだけ、言葉は増えたが、少年を視界から見失うたびに、自分の無力さを知った。
このまま、言葉をかけられないのなら、言葉は必要ないだろう。
そう思った。
その言葉はつもりつもって、ステージ上で叫ぶ。
暗喩でも比喩でも、ストレートにもならず、ひとつも関係ない言葉に感情だけが素直に乗って、唄になった。
結局伝えられず、人に迷惑をかけるようになった。
それを正すように現れた、また別の少年に彼は感謝をした。
止めてくれたことを感謝したわけではない。
彼が言葉を伝えたい少年は、その少年とは違っていた。違っているから、同じようにきっかけを与え、その違いを教えてくれた少年に感謝したのだ。
少年の中にあの少年はいない。
代わりにもならない。
それが解って心底嬉しかったのだ。
それが、彼の初恋だった。
その年のことだ。
あの少年が歌っているのを、彼はきいた。
ステージでもなく、力いっぱい歌っていたわけでもない。吐き出すように歌っていたわけでもない。
ただ、何気ない鼻歌のような小さな音を奏でていた。
酷く震えたことを覚えている。
まだ高かった声は、低く、落ち着いた声になっていて、叫ぶように歌う彼とは違って楽しすぎて歌っている彼。
あんなふうには。
あんなふうには歌えない。
その声が、小さくても無視できず、いつまでも残り、不安になるにも関わらず、聞けないことに苛立つ。
いつまでも聞いていたい。
もう聞きたくない。
ただ、最後には彼に、自分の音を聞いて欲しくないと思った。