そんなであるから、志川も無駄に胃やら頭やらを痛めるのだ。
そこが好きであるし、可愛いとすら思うのだが、嫌いでもある。
「古ヶ崎って呼ばれるのは、好きではない」
十余年古ヶ崎であった俺の事情を他人から見れば、養子としてもらわれたが跡継ぎが生まれ、用済みになり、家から捨てられた子供だ。古ヶ崎と呼ばれることを厭うのもわかるだろう。
しかし俺にとってそんなことは些細なことである。もっともらしく、俺の本音が隠れるので否定することもない。本当は、古ヶ崎と呼ばれると呼ばれている気がしないからだ。
少し変われども、俺は昔の俺の延長でしかない。
「じゃあ、浪治(ろうじ)か」
距離が一気に近くなったような気がして、寝転んだままだというのに少しめまいを覚えた。
俺は志川とある一定の距離を詰めてはならない。
信用できない俺のために、恋人ごっこといえどそれは絶対だ。
「志川、名前を呼ぶときはベッドで……」
「てめぇは、本当……そうやって逃げるよな」
やはり、あの時、ごまかし切れていなかったらしい。
俺は、それでも解らないふりをする。
「ああ、これでついに一線も越えるのか」
「ベッドじゃなくても呼んでやるから、逃げるならもっと物理的に逃げろよ」
見事に俺のことばを無視して、志川が告げた。身体を使って逃げろということなのだろうか、それは少し骨が折れそうだなと前向きに思うことにした。そうして物理的に逃げ切らない限り追いかけてくれるのかと期待を抱く馬鹿に気付かないふりをする。
「ベッドでも呼んでくれるってことだろ?なら、一線越えも……」
揚げ足を取られ、しばらくことばを悩んだのだろう。志川の視線が俺から反れた。そして俺は漸く身体を起こす。
「……使い物になるなら、考える」
これもまた意外なことばに、俺は毛布を跳ね上げ、いつもと違って俺への抵抗がおろそかになっている志川に抱きつく。
「随分譲歩したな。いや、ついに俺にめろめろになったのか」
「馬鹿か」
志川に関しては、俺はいつも馬鹿だ。
どうしても傍にいたいし、信用できないものにも目を瞑って先を望むし、何を見ても好きだし大嫌いだし愛しているし、嫌われたくないし好かれたいと思ってしまう。
「この天才を前にして、馬鹿だといえるのは、恋人の特権だな。ああ、そうか、恋人だから、あーんもう、ばかっていう……恥じらいか?」
だから、俺は、せめて今の気持ちのままうかれることにした。
「ぜってぇ使い物になんねぇわ。安心しろ」
いつもの調子である志川に、心底ほっとして、俺もいつも通り前向き思考を発揮する。
「何いっているんだ。あんなもの反射神経だ。特に嫌悪感がないなら、いくらでもたたせる方法あるぞ」
俺の本音もポロリと漏れて、志川が俺を剥がしにかかった。
今までどおりの日常が戻って来たようで、心底安堵する。
俺の行動パターンが解ってきたのか、それとも俺が弱っているのか解らなかったが、志川は俺を剥がしていい切る。
「たつとして、てめぇがそれで満足して居なくなんなら、しねぇよ」
「そんな儚い存在に見えるか?」
図々しく振舞ってきたつもりであるし、恋人だといってくれるなら卒業まではそうあるつもりだ。
「んなわけあるか。でも、いい予感しねぇんだよ」
「俺の身体に夢中になるって?」
いつも通りポジティブにいい放つと、珍しく志川が頷く。
不本意を最大限あらわしたような顔だった。
「手放せなくなったらどうしてくれんだよ」
今日は盆暮れ正月かもしれない。
喜んで赤飯でも食べなければならない気持ちになりながら、反面、俺も手放せなくなったらどうしようかと考える。
自分自身を信じきれない俺にとって、それは一番の問題だった。
いつも優秀な口からことばは、出ない。
口をあけることすら出来なかった。
「……でも、もう遅ぇか」
志川の言葉が、俺の状態をも的確についてくる。
そうなのかもしれない。
別れるといって、結局離れることが出来なかった。
ならば、ほんの少しだけ、開き直ろう。
「その時は、その時だ」
先ほどまで嫌そうな顔をしていたくせに、志川は呆れたように笑った。
「てめぇは、本当……ずりぃわ」
その通りであるのだから、ぐうの音もでない。
俺はいつも以上に可愛くないヒゲ面で唇をとがらせた。
「ところで、志川。キスしていいか?」
俺の表情に嫌そうな顔をした志川に許可を求めたら、珍しく志川からキスしてくれたのは、役得だったのかもしれない。
そのあとうっかり、流されに流されてやってしまったんだから、本当に役得だったのだろう。
そうして、俺は、セクハラ三昧の日常を取り戻す。
「そうだ、リップクリームの効果はあったか?」
「おい、まだそれ気にしてたっつうか、それどころじゃないっつうか、太もも撫でんなきめぇ」
何故だか、志川の態度が変わらないというか、更に照れ屋になってしまって、うまくイチャイチャできないのが不思議で仕方ない。
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