プロポーズは君から2
新しい風紀委員長は、気がついたら日ごとに顔を変えていた。
目は充血し、隈ができ、頬がこけ始めたあたりで、余所の縄張りだと放っていた俺も、一応人間であるのだからお隣さんとして心配になってきたのだ。
「……その、なんだ……悩み事でもあるのか」
風紀委員達に食堂の専用ブースに連れてこられ、一応、飲み物だけは頼んだ風紀委員長は、その飲み物すら異物であるような顔をしてコップを睨む。
生徒会と風紀委員会の一部しか使用不可能なブースの中、俺は出来るだけ風紀委員長から離れて声をかけた。風紀委員長の狗倉音街(くぐらおとがい)は、高等部への編入であるから、俺と居るのは気を使うことだろうと思っての配慮だ。
「……あー……悩みといえば、悩みかもしれねェな」
コップを持つと、中身を一気に飲み、狗倉は今日のノルマは終わったと言わんばかりの顔をした。
「聞くだけなら、聞くぞ。あと、できるなら、悩みも解決してやる」
狗倉の目はとても虚ろだ。恐らくろくに眠れて居ないに違いない。
「……なら、獅守、今すぐ獣化してくんねェか」
「何故」
「鬣ってふさふさでふわふわなんだろ?」
「……おそらく?」
狗倉は何度も頷いたあと、瞬きをして、珍しく笑った。
何処を見ているか解らない、今にも死にそうな微笑で、暗く、切なく、寂しく、儚い。
ああ、今ならコロッといけそう。
そう思った。
「ケイ、何してる?」
『枕になっている』
「見たら解る。何故、狗倉の枕だ?」
動いてしまうと狗倉が起きてしまうのではないかと思い、俺は首も動かさずに答えた。
『寝不足らしい』
「それも見たら解る。病むほど寝不足だ。でも、それ、ケイ関係ない」
確かに副会長である虎目佐丈(こもくさじょう)の言うとおりだ。
しかし、俺は、この今なら何の抵抗もなくコロッと食ってしまえそうな狗倉が憐れになり、狗倉に言われたとおり変化した。
幼稚舎からこの学園にいる筋金入りの動物変化だ。何の迷いもなく一瞬で、立派なライオンに変化した。
変化すると風紀委員達は心得ているのか、本能が強かったのかこの場所に俺と狗倉を置いて出て行った。
この学園は、獣に変化する人間を集め、保護、教育している。そうしないと、獣の性に引っ張られ社会に適合できなかったりするからだ。
もし、うまく適合できなかった場合、肉食獣ならば自分が狩れると判断した動物を捕食したりしてしまう。
それを避けるためにも、草食動物に変化する連中と幼いうちから一緒に居て慣れさせる。
だが、幼いうちに変化しなかった人間も少なくはない。そういう人間も、この学園に途中編入してくるのだ。
狗倉は高等部から入学、その途中編入のようなものである。
『あまり、話すと狗倉が起きちまうぞ』
「答えになってない」
「……そうだな、俺が可愛そうになってと、素直に答えて大丈夫だ」
『そうそう、可愛そうに……、悪い、起こしたか?』
俺の鬣に乗せられていた頭が、起き上がったのだろう。頭というか首というか、その辺りが軽くなった。
「いや、ずっと起きてた」
『……悩みなら、聞いてやるぞ』
「確かに憐れだ」
ジョーが腕を組んで俺と狗倉を見下ろした。
ジョーの目にも、狗倉を憐れむ色が見てとれる。
しばらくの間、狗倉は顔を覆って唸り、唸るのをやめたかと思うと、再び俺の鬣に頭を預けてきた。
「……寝れねェんだよ。他のやつらの気配がするってェの? 煩いし、気は立つし……」
『ああ……変化したのが遅かったんだな。動物の性が強いのか』
「いや、そうでもねェっつうか、一部ケダモノよりっつうか。風紀の連中は、まだいい。守るべきものだと思える」
狗倉の変化する動物は、狼だ。
狗倉は高等部からの入学であるというのに、風紀委員長になるくらいの立派な個体である。風紀委員会という群れの最上位だと認識しているのだろう。
かくいう俺も、生徒会長という立場でライオンに変化する関係上、プライドの頂点だという認識がある。
そのため、別のプライドである風紀委員会とは少し距離を置いていた。考え方によっては、風紀委員会も俺のプライドの一部だと思うことが出来る。しかし、どうにもそのプライドの頂点に立つ雄が優秀だと判断できるため、牽制したり不用な争いをしてしまいそうになる。だから、近寄らないようにしていた。
その優秀な雄が、今、あっさり捕食できそうだと思うと、それは憐れみたくもなる。
変化する動物の性に引っ張られてしまうとはいえ、俺は人間で、この学園に小さい頃から居るのだから、捕食しようとは思わない。
「それ、ケイだと余計駄目だろ」
ジョーがそう言ったのは、俺がどうも狗倉を余所のプライドの雄だと意識してしまうと知っていたからだ。
「それは」
俺はそうして、近しいとはいえ他人に知られるほど意識しているのだから、気配が煩いだとかいう男が俺の態度に気がつかないわけがない。
そうなると、自然と狗倉も俺を意識することになる。俺の見立てでは同程度の強さを狗倉は持っているはずだ。そういう存在は、群れを守る者同士、何かと目に付く。
「部屋が隣だから、まだマシかと思ったんだがよォ」
『うん?』
「気配、一番強ェし、解るから、慣れてるかと思ったんだがなァ……違った。俺の家族でも仲間でもねェし、いつも脅かされてんのむしろ、獅守の気配だわ」
それは、一匹の雄として大変意識され、自らの縄張りを守らねばならないと、俺を認めてくれているということだ。
そう、そういうことではあるのだが、狗倉の眠りを妨げの最大の原因は俺ということになる。
俺が隣の部屋や、同じクラス、風紀委員室に近い生徒会室にいるせいで、常に外敵に身をピリピリさせており、ろくろく眠れない。そういうことなのだ。
「……かわいそう」
ジョーが零した言葉が、俺を責め立てた。
俺は何故だか居ても立っても居られず、慌てて首を動かす。
『……か』
首を動かしたところで、確認したい狗倉は見えない。
「か?」
『家族になるか!?』
しばらく、その場を痛いくらいの沈黙が支配した。
「……プロポーズじゃねェよなァ?」
そう呟いて、狗倉が頭を揺らしたことにより、ようやく、その場に音が戻る。
狗倉が俺の鬣の上で笑っていた。
『そんなわけがあるか』
「は、わりィ、く、駄目だ……っ」
俺が見ることの出来るジョーも、笑うまいと顔を逸らして頑張っている。
しかし、たまに息が漏れて中途半端な笑い声となってしまっていた。
「それなら、一緒に暮らすか」
一頻り笑った後頭を擦り付けた狗倉のその言葉や動作のほうがよっぽどプロポーズである。
その動作は言っておくが、愛情表現の一つだぞ。
俺はそういう代わりに、喉を鳴らしておいた。
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