何処に位置していても不満なのは、現状への不満の表れなのかもしれない。
「なぁ、意中の男といい距離ってなんだ」
「どっからそんな話になったんだ。あと、意中の男って、それ、俺に言うべきことか」
「だから言ってんだろうが、牧瀬はそうでもしないと気にしねぇだろう」
アオこそ、どんな顔をしてそんなことを言ったものだろう。
馬鹿馬鹿しい。
アオは随分前から気がついていた。何を言ったところで、タスクは気にしたりしない。だからこそ言える軽口なのだ。
やはり、隣でよかったのかもしれない。
「そう思うか?」
西陽は、日中の太陽とは違う眩しさがある。窓から抜けて、床に落ちる四角い橙は、その眩しさの分だけ暗い影を作っていた。
二人は似たような問答をよくする。答えは繰り返しで、自動的だ。口から勝手に出て行ってくれる。
「そう思うことにしてんだよ。じゃねぇと空回りでも、牧瀬に構えねぇだろ」
「そうかもな」
下らなく、意味はない。
少し前は気分も良かった。しかし、アオの気分は、一つ何かに気がつくだけでかげるものだ。
早く講堂に行かなければ、太陽も沈んでしまうかもしれない。影が視界に増え、薄青が混ざり始めた校舎から抜け出す。
「宗崎」
「あんだよ」
「主役を先に行かせたら、俺が怒られる」
「怒られとけよ。たまにはそういうのが牧瀬には必要じゃねぇの」
講堂に続く、コンクリートの渡り廊下を普段と同じように歩くと、いつもよりゆっくり歩いていたタスクが少し遅れた。
タスクはそれ以上離れぬように、渡り廊下の頼りない蛍光灯と残った陽が作るアオの影を踏む。
ぼやけて薄れる影は陽の気配が消えるほど、短くなる。
「たまにじゃねぇよ。よく文句言われてる」
「文句と怒られんのは一緒じゃねぇから」
「そんな変わん……」
タスクが不意に口を閉じ、アオの腕を引っ張った。
「なん……?」
明かりがあっても薄暗いそこで、アオはタスクの隣をすり抜け後ろへと大きくたたらを踏んだ。
タスクはアオに当たらぬように足を振り下ろす。
「ぐ……!」
何かが詰まるような短い、くぐもった声が渡り廊下に吐き出された。アオが居た場所には、明らかに学園の生徒ではない人間が転がっており、丸くなって悶えている。
「……今日に限ってか」
「俺の気分だだ下がりだ」
薄暗がりには目立たないのかもしれない黒服の男から、アオを遠ざけるようにタスクが後退した。
「宗崎、電話」
「それより、取り押さえて……」
「誘拐未遂ってのは、騒いだ方が身のためだ」
「解ってる」
一撃目が効いているのかなかなか立ち上がろうとしない男から、視線を外さず、タスクが不満を零すようにアオを呼んだ。
「宗崎」
騒ぎになれば、楽しみにしていたイベントは潰れる。
ばれていると解っていても、隠れて準備してくれていた生徒たちも、それで祝われる立場にあるアオ自身も、本当に楽しみにしていたのだ。
だからこそ、騒ぎにしたくない。
そして、それ以上に騒げば、しばらくの間、学園が落ち着かなくなることをアオは知っていた。
「解ってる」
同じ言葉を繰り返したアオに、タスクがため息をつく。
これはアオのワガママだ。タスクに呆れられても仕方ない。
アオの腕を掴んでいた手が離れた。
「誕生日、だしな」
その手が腕を軽く叩く。
「電話はしろ。あれは俺がどうにかする……俺はサボったことにしておく」
「悪りぃ」
蹴られ、勢いよくコンクリートにぶつかった膝に何かあったのだろう。男は膝を片手で守るようにして、コンクリートを這って逃げようとしていた。
「誕生日くらい、もっと違うワガママを言えばいい。だから、生徒会長なのかもしれねぇけど」
タスクが男の襟首を掴み、講堂とは逆の方向に歩き出し、満足に動けない男を引きずり始めた。
「保健室に連れて行く」
「頼む」
「おー」
タスクの後ろ姿を見送り、アオは電話をかける。
この後は、何のこともない顔をして講堂に向かわなければならない。
ため息をつく前に瞼を閉じる。
瞼を開くと、タスクが居たとき違い、講堂から漏れる楽しそうな声が聞こえた。
楽しそうだと思うと同時に、アオは力を抜く。
「誕生日のワガママは、もう言っちまったしな」
独り言を呟いたあと、すぐに電話は繋がる。
渡り廊下の外を見ると、夜の色が濃くなっていた。