アオは、タスクファンを煽るためにタスクに噛み付いた。タスクはそれを察してキスについて特に尋ねることも抗議をすることもなかったのだ。
「俺は、煽るためであっても一つ二つは言いたいことがあったが、椋原悠一(むくはらゆういち)が居た時点で言いたいことが二つ三つとんだ」
「気のせいじゃなけりゃ、飛んでった言葉のが多いな」
颯爽と歩きながら、アオはタスクの言いたかったであろうことを考える。まずタスクは煽ったこと自体をいいようには思っていないだろう。煽ることでアオはまた襲われる可能性が高くなる。だからアオも何の説明もしなかった。いい顔をされないことは解っていたからだ。
ゆえに言いたかったことのひとつは、煽るな、だ。
実行に移したアオに抵抗をせず、中途半端にもしなかったタスクはこうも言いたかっただろう。方法を考えろ。
一つ二つとタスクの言いたかったことを考える。アオはいつの間にか笑っていた。
「なんだかんだ、牧瀬、俺のこと結構好きだろ」
アオを心配していなければ出てこない言葉だ。推測とはいえ、当たっているだろうそれに、アオは笑わずにはいられない。
「趣味が疑われると何度言えばいいんだ」
「疑れてもいいと思ってないか」
食堂から教室のある棟へと続く渡り廊下の半ば、生徒もまばらに歩いているそこまで来たタスクが、少し考えるように間をあけた。
渡り廊下は長くない。しかし、教室と食堂までの距離は長かった。
早歩きに二人を追い越す生徒もいれば、食べてしまえばさっさと席を立ち教室に帰る生徒もいる。有名人をみたいと思ってゆっくりと歩を進める生徒もいた。
そのため二人の会話はトーンが落とされており、他の生徒には聞き取りづらい。二人の会話を聞きたいと、耳をすませる生徒もいる中、タスクはわざとらしく首をひねった。
タスクが口を開きかけ、すぐに閉じる。
移動教室か何かのためなのか、急いで渡り廊下を走って来た生徒の足音が後ろからしたからだ。タスクが振り返るとその生徒はタスクとアオの間を駆け抜けようとしていた。
タスクは端に寄ろうとして、ふとあることに気付き、足を止める。
そして、タスクは駆け抜けようとしていた生徒の腕を掴んだ。アオはタスクよりも数歩先まで進み、足を止めた。
「……っなんで!」
タスクに振り返った生徒に答える代わりに、タスクは渡り廊下の端を見る。
タスクが見たのはタスクがいる右端ではなく、左端だ。
タスクが端に寄る前から、タスクとアオは端のほうを歩いていた。渡り廊下には他の生徒もいるとはいえ、十分な空きがあったのだ。
それにも関わらず、その生徒はタスクとアオの間に入るように走って来た。
「前が見えて居ないにしてもこちらとはぶつかる。何か目的があるのでも止める……煽ったばかりだしな」
アオがようやく振り返り、タスクの代わりに口を開く。
それがタスクに止められたこと以上に、その生徒には腹立たしかった。彼はアオを睨みつけ、怒鳴る。
「なんで!どうして貴方なんですか!」
そろそろ教室に向かうため急ぎ足になってもおかしくない生徒たちが、アオとタスクから距離をとりながら、ゆっくりと歩いていく。足を止める生徒もいた。
誰に見られていても気にしないのか、気がつかないのか、どうでもいいのか。彼は更に声を張り上げる。
「貴方が、どうして!風紀委員長なんですか!」
彼は必死だった。
タスクがもう風紀委員長ではないということも、タスクがそこにいることも、その腕を掴んで止めているのがタスクであるということも気にせず、叫んだ。
「たくさんいるじゃないですか!風紀委員長じゃなくても、たくさん……!」
タスクは前へ前へと進もうとする生徒が、アオに襲い掛からぬように、このまま腕をひっぱり脱臼しないようにするために、後ろから羽交い絞めにした。
「……俺も聞いていいか」
叫ぶ生徒に睨みつけられ、責められたアオは、平素と変わらぬ様子で口を開く。
渡り廊下にいた生徒は、食事をとったあとも食堂にいた樫により数を減らしていた。教室に向かう途中だった樫は、仕方ないとため息をつき、生徒たちに教室にいくように促してくれたのだ。
「どうして駄目なんだ?」
「あなたには、他にも……っ」
「いるのかよ」
アオは鼻で笑う。その目は楽しさも嘲りも、感情の色さえひとかけらも浮かばない。
アオが態度を変えれば、アオの周りには今以上に他人が集まる。アオはそれを知っていた。けれど、それとタスクとは別の話だ。
「言いたいことはわからねぇわけじゃねぇ。だから?」
タスクは腕の力を更に入れる。飛び掛ろうとする生徒は怒りのあまり口を開いて何も言えないでいた。
遠くで予鈴が鳴る。
樫のお陰で、すっかり渡り廊下から生徒がいなくなっていた。生徒がいなくなる前に、樫は何処かへ連絡を取って、他の生徒と同様に渡り廊下を去っていった。
あとで礼を言いにいかねばなるまいと、タスクは目の前にいる二人を眺め、思う。
「なぁ、何でだ。俺が本気で牧瀬が欲しくて、選んじゃならねぇのか」
その生徒の言うとおり、他にもたくさんアオのことを思う人間はいる。しかし、その人間よりアオに薄情でも、タスクは一人しかいない。
「なん……っ」
その生徒、タスクファン、誰にとってもタスクは一人しかいないだろう。
解っているから、ことさらゆっくりと、アオは言った。
「俺だって、牧瀬だけなのに」
感情の色を浮かべなかった目は、少しだけ寂しそうにみえる。
その目を見てしまった生徒はとうとうその場にずるずるとへたり込んだ。
それより少し遅れ、バタバタと渡り廊下の先から風紀委員たちが走ってくる。
タスクは樫の連絡によってやってきた風紀委員たちにその生徒を任せ、アオの傍に寄った。
タスクが傍に寄ると、珍しく疲れた顔をしたアオがポツリと呟く。
「決めんのは俺じゃねぇし」
怒っていいのか嘆いていいのかよく解らないといった、力ない声音だった。
タスクはその肩を軽く叩いたあと、アオの髪をかき回すように頭を撫でる。
「お前も趣味が悪いな」
「うるせぇよ」