放課後のことだ。
三年の教室に向かう途中、タスクは樫に会った。
ちょうど樫に礼を言うため、三年の教室に向かっていたタスクは、人通りの少ない廊下の隅で樫を呼びとめ礼を言ったのだ。
「お前も律儀だな」
礼に対しては、おざなりに『別に』という零した樫であったが、わざわざ三年の教室まで行こうとしていたタスクに対しての感想はそれであった。
「宗崎がやらかしたのを放って置いたのは俺ですからね」
「そこで、謝罪ではなく礼がでてくる辺りが男前だ。やったのは宗崎で、牧瀬は巻き込まれただけだろう」
巻き込まれたにも関わらず、舌まで絡めて濃厚だったとは言い難い。タスクは曖昧に笑って見せた。
「……違うな、悪い男なのか。あまり遊んでやるな、あれでも可愛い後輩だ」
遊ばれた覚えもなければ遊んだ覚えもない。しかし、タスクはアオに対し曖昧にし続けていることがあると自覚していた。そう思われても仕方ない。その上、近頃ではその曖昧さがタスクを楽しませている部分すらあった。
「あれでもですか」
「あれでもな。一応、お前も」
風紀委員会には三年生がいない。タスクを風紀委員会の長にした時から、タスクより上の学年はいなかった。そのため、風紀委員会にタスクの先輩はいない。
しかし、生徒会とは少なからぬ接触があり、なにかといっては風紀委員会に遊びにやってくる上に、トラブルメーカーのアオのお陰で、アオの先輩に当たる人に会うことも多かった。だからタスクも、アオの先輩である元会計の椋原も、元生徒会長の樫も先輩のように思っている。
「そうですか。俺も、樫さんは尊敬できる先輩だと思ってますよ」
「俺は?」
「元会計の方については、嫌な先輩で鬼門だと思ってます」
「いや、あれへの評価はわかるが、他のやつらは?」
樫に他といわれ、タスクは首を傾げる。おそらく、樫の言うところの他というのは、他の元生徒会役員のことなのだろう。言われてみれば、何度か顔を合わせた覚えはあったが、不思議とタスクの中で印象が薄かった。
タスクの様子に、樫の顔が僅か、歪んだ。
「……先輩とは思っていないか」
「先輩といえるほど……」
接触もなければ印象にも残っていないと素直に続けようとして、タスクは何かが引っかかった。接触をしていないのは未だしも、印象に残っていないのはおかしいことだ。生徒会役員は大抵、目立つ人間が抜擢されるものである。目立って成績がよく、目立って容姿がよく、目立って家柄もよい。性格さえも目立った特長があることが普通である。
生徒会役員はそれらの目立った生徒が多いから、飽和している、またはそれ以上の個性のせいで印象に残らないこともあるかもしれない。
それでも、タスクは何かおかしいと思った。
「……会うこともなかったので」
違う言葉を選んで口にしても、タスクにはなにかが引っかかったままだ。
「ああ、後釜を決めるとすぐ退かせたし、お前らも気に入られていたから」
タスクは、さらにひっかかりを覚えたが、それを疑問として樫に尋ねることは出来なかった。
このときを見計らったかのように襲われたからだ。
真新しい制服を着た男が三人だった。
明らかに高校生に見えないその三人のうち、二人はタスクに、一人は樫に襲い掛かる。
タスク一人ならばフラフラと避けながらも逃げ出すことは難しくなかったが、そこには樫も居た。元生徒会長は頼りになれどアオほど、規格外の男ではない。
タスクは一人に足をかけると、覆いかぶさろうとしているもう一人から身をかわし、樫と樫を殴ろうとしている男の間に入る。
腹に一発拳を食らいながらも、タスクはその場に踏みとどまった。無理矢理割って入ったため、後ろには樫がいる。力を逃すために後ろに飛ぶことも出来なかったのだ。
だが、タスクはただ拳を食らうだけでは済まさなかった。
身体をひねり、その拳を腹から横にそらし、一歩踏み出す。そして、相手の腹に拳を入れたあと、タスクは反転した。踏み出した足を軸に、相手を横に蹴り倒す。
蹴り倒したあと樫に振り返ろうとしたタスクに、最初覆いかぶさろうとしていた男の手が伸び、タスクはそれを避け損ねた。
パンチというのは緩やかな握りのそれは、男も意図せぬ攻撃となったようだ。タスクの振り返る勢いと、男自身の勢いを殺せず、タスクの頭を揺らした。
一瞬思考が消え、視界がぶれる。ヤバイと本能が告げる中、タスクは樫に手を伸ばす。
何が起こっているか理解し損ねた樫の腕を握ると、乱暴に引っ張り、走り出した。
「なに……ッ」
人通りの少なかった廊下を曲がり、階段を上ると他の生徒たちがタスクと樫のただならぬ様子に振り返る。
「とにかく逃げるッ」
最初の目的地だった三年の教室につくころには、三人の男の姿はタスクと樫の後ろにはなかった。
「……っは、なる……ほど、宗崎、が、惚れるわけだ……っ」
三年の教室に入り、他の生徒に驚かれながら、周囲を警戒するように見渡したタスクに、樫が呆れたようにそうぼやく。
タスクは、息を整えるために一度大きく吐き、吸う。
「……先輩も、宗崎のセンパイですね……」
タスクも樫も、互いに不本意そうな顔をしたのであった。