普段は避けている生徒会長が、会いに来て、尋ねてきたときから、椋原は解っていた。
「そろそろなんじゃないかなぁと思ってたよ。それにしても、人数絞ってきたねぇ?」
木々が影を落とすまでもなく薄暗くなる時刻だ。普段は敷地内にある寮に帰るはずの椋原は、校門の前に立っていた。
大きなキャリーケースを持った椋原は、まるで夜逃げをしようとしているようだ。
「あんたが、この時期に……っ、留学とかっ」
息を切らしながら答えたアオに、椋原はいつも通り笑う。後輩を構うときにする、楽しくて仕方がないという笑みだ。
「だよねぇ。でもぉ、結構前から決まってたんだよねぇ、留学」
校門の近くにある明かりが照らし出す椋原は、いつもにまして白い。紙のようですらある。しかしアオにはそれが不健康さよりも、初めて見る他人の温度や色のように見えた。
「慌てて追いかけてきてくれたのかなぁ。他の子たちより、二人とも足速いもんねぇ」
アオより少し足の遅いタスクは、アオよりも息を切らしており、息を整えることで精一杯だ。
タスクが話せないかわりに、アオは口を開く。
「どうして……っ」
「ふふっ、可愛ぃねぇ」
椋原は手に持っていたキャリーケースの取っ手から手を離す。アオとタスクと向かい合い、自らの腕を組んだ。
「ここに来たってことはぁ、タスクくんもあると思うけどぉ……樫、あたりにぃ言われなかったぁ?」
アオが言葉を詰まらせる。
樫に言われても、まだ、アオは椋原に仲間意識があった。どうしてと、問わずにはいられない。
「あんたが意地クソ悪いからだろ」
今度はアオの代わりに息を整えたタスクが口を開いた。
「あれぇ……先輩への敬意はどこいったのぉ?」
「このまま学園に戻って来ねぇ生徒は、敬ってもねぇんだし、先輩でもなんでもねぇよ」
「あっは。こわぁい」
椋原が自分自身を抱きしめる姿は、演技がかっており、タスクの眉間に皺しか作らない。
いつも通りのタスクに比べ、アオはまだ声がでなかった。
薄暗くても解るその様子を、椋原は逃さない。
「可愛いほうの後輩はそうでもないみたいだけどぉ、ね」
タスクとアオが動かないのをいいことに、椋原は、今度は手を後ろに回し、ゆるく結んで、歩き出した。キャリーケースに手を伸ばすそぶりさえ見せないのは、椋原の余裕をうかがわせる。
「ボクねぇ、随分前に留学が決まったんだよぉ。だからぁ、お気に入りを、さいっこぉーに弄り倒して、いこって決めたんだよぉ」
「迷惑きわまりねぇ」
タスクが吐き捨てるように呟いた。その声がいつものように聞こえてることが、アオにもう一度口を開かせる。
「それが、理由ですか」
「そぉ。でもねぇ、ボクはボクの蒔いた分しかぁ、回収する予定はなかったのぉ」
電燈の真下で立ち止まった椋原は、いつの間にか、いつもより血色が良さそうな顔をしていた。
生き生きとしている椋原の頬を引っ張らなければならない。
こうなってもなお、アオは椋原を殴ろうとは思わなかった。
「外部の人間なんか使ったらさぁ……無粋じゃなぁい。誰かを唆した方が断然楽しいしぃ」
「そのわりには、次から次へと見知らぬ人間が現れたが」
椋原の目が弓のような形に、細くなる。タスクに言われたことが、とても楽しい出来事だったのだ。
「打診されたのぉ」
その場で服でも自慢してみせるように、椋原がくるりと回る。今にも踊りだしそうなその姿に、タスクは腹立たしさよりも寒気を覚えた。
「宗崎家のご当主にぃ」
椋原の回答は、逆にアオの怒りに触れる。
今の今まで意気消沈を身体で表したような姿であったアオの背筋が伸びた。
「ふ……」
「ふ?」
「ふっざけんなよ、あのクソ親父!」
足まで踏み鳴らして悔しがる姿は、すっかり先ほどまでの面影がない。タスクは少し前にいるアオの変わりように、眉間から皺を失くして驚いた。
「なんの打診だあのクソがッ!外部の人間多いと思ったらあのクソ親父かよッ、外部の人間多い割りに静かで騙せてんのかと思ったらあのクソ親父ッ!」
「すごぉい、クソのオンパレードだぁ」
目まで輝かせた椋原に、罪悪感の欠片はない。
タスクはため息を噛み殺し、実感する。これが椋原の通常なのだ。お気に入りを弄って、楽しむ。それが椋原なのだ。今までの認識となんらかわりない。それの度が、タスクやアオが思っていたよりも過ぎていただけだ。
「……まさか、俺を試すためじゃねぇだろうなぁ……」
小さくこぼしたタスクの独り言は、椋原に拾われた。
椋原は手まで叩いて喜んだ。
「タスクくんはぁ、ほんとぉ、いいねぇ!そうだよぉ。タスクくんとぉ、会長を試すためだよぉ」
「俺はまだしも、そこに牧瀬いれてんじゃねぇよ!人前に出にくい漢前な面になっちまっただろうが!」
「ふふふっ……そうだねぇ、おかげでお腹も痛いよねぇ?」
「あ?」
父親の存在がでてきた時点で、何かが切れてしまったアオは、勢いのままタスクを振り返る。怪我をしたと聞いて訪ねたときも普段と変わらぬ様子でソファに座っていた。今も、タスクは普段と同じ様子でアオの視界の中に居る。
「……それ知ってるってあたりが、あんたほんとに、黒幕だな」
「ボクとしてはぁ、結構、ヒントあげたつもりなんだよぉ?誰かが知らない話をボクは知ってるってぇ。でもぉ、会長はぁ疑いきれなかったんだよねぇ……」
「わりぃかよ!俺はそれでも、あんたが先輩だっつうの!」
椋原はきょとんとしたあと、はちきれんばかりに笑った。笑って笑って、目尻に涙をためて、それを拭っても笑う。
「そぉいうとこぉ、気に入ってるんだぁ」
「いい迷惑じゃねぇか……」
「タスクくんは、そういうとこ、気に入ってるけどねぇ」
他人事だったタスクが再び眉間に力を入れた。暗くなってしまい、よく見えないその顔を、椋原は想像して満足そうに電燈の増したから歩き出す。
「ボクはねぇ、だからとてもとても気に入ってるんだぁ。三人ともねぇ」
「三人目は誰だ」
「ひみつ」
タスクは三人目に心当たりがなかったが、アオにはある。生徒会を影に日向にと守りつづけた樫だ。
樫がどうしてあれだけ椋原を警戒したのかを、アオは感じることができた。一番最初に気に入られ、エスカレートした行動にさらされたのは樫なのだ。
「そろそろ時間なんだけどぉ、まだぁ、聞きたいことぉ、ある?」
反省など微塵もする気がない椋原が、再びキャリーケースの取っ手を持った。
高飛びをする犯人を目の前に、何かできるほどの権限をアオもタスクも持っていない。宗崎の力もあったという椋原に、アオが持てる力は使えないし、タスクなどは宗崎という名前だけで何も出来ない。あくまでアオもタスクも学園の生徒でしかないのだ。
警察に訴えることはできる。しかし、被害者であるアオもタスクもそれができない。長いこと苦しめられただろう樫でさえ、それができないのだ。
「何処行くんですか」
「なんでそれぇ?」
「殴りに行きたいんで」
「殴れないくせにぃ」
やはり楽しそうに笑って、椋原は歩き出す。
「そういうとこがねぇ、やっぱりぃ好きだよぉ、会長」
「マジでいい迷惑だ……」
笑いながら、椋原は校門までやってきた車に乗り、学園を去った。