チカ。


彼と雅が出会ったのは白鶯学園体育祭だった。
不遜な態度、俺様然とした一つ年下の生徒会長。
雅が彼に抱いた第一印象は、おぼっちゃまなんだなだった。
俺様な態度が大切にされ、甘やかされ、我儘そうに見えたのだ。
そんな第一印象の実力のあるといわれる生徒会長は、あの事故が起こり、少し呆然とした後、動き出した。
雅たちが駆け回る中、彼の働きぶりに、雅は彼への印象を変える。
あの態度は自分自身がやってきたことへの自信なのだろう。
第二印象は良好だった。
後日、謝礼をしに来たときに、縁があり、雅は彼を美術展に誘った。
雅に深い意図はなかった。
美術展にしても、御礼にと貰ったチケットがあったから行こうと思っただけで、特に思い入れがあったわけではない。
しかし、雅は展示された作品に泣いた。
雅を泣かせたのは一枚の絵だ。
青く、暗い、寂しい、不安定で、冷たいと思えるその絵は孤独のようでいて、まったく違った感想を抱かせた。
その絵は、優しかった。
雅は感受性が強いほうではない。
たまたま、その絵にだけ反応したのは恐らく、幼なじみを思ってのことだ。
不安定で、まるで縋るみたいな恋をした幼なじみを、心配してしまうのは仕方がない。
まるでその絵が、幼なじみのように思えて、そうか、大丈夫なんだなと、雅は安堵したのだ。
涙を拭った後、雅は彼に謝って笑う。安堵したのもあって、すっきり笑っていた。
その謝罪を聞いても彼は、真面目な顔で雅に言った。 「泣くな」
雅には二つ年下の幼なじみと、一つ年下の幼なじみがいて、二つ年下の幼なじみは年上の幼なじみを思っての背伸びか、はたまた暴走しがちな二人のせいか、自分自身の許容範囲を越えることをしがちだ。
一方、一つ年下の幼なじみは、恋愛方面はいかんともし難い厄介な人間を好きになったが、マイペースで世話が焼けるようでいて、その実、幼なじみ三人の中で一番大らかで自立している。自分というものをはっきりと持っているのだ。しかし、他人と違う基準があり、当たり障りのないという状態を作り損ねることが多々ある。
そんな二人をフォローすることが多いせいなのか、表情が激変することのない二人をみてきたせいか。
雅には彼がやけに焦って、そう言ってくれたのがわかった。
みっともないからではなく、泣かれたらどうしていいかわらからないからという理由だろう。
雅が素直に男前だなと評したところ、彼の反応が雅以上に素直だった。
何かに耐えるように眉間に皺を刻んだあと、うっすらと赤くなる。
照れた。
雅がそう思ったのもつかの間。
何事もなかったかのように絵の観賞にもどり見おわったあと、雅が彼を軽い食事に誘うと、寮が遠いからと断られた。
少しぼんやりとしているが、しっかりとした足取りで帰るものだから、あれは幻だったのかもしれないと雅は思った。
だがそれが間違いであったと雅が思い直したのは、その日のうちにきたまとまりのないメールのお陰だった。
送られてきた遠回り過ぎたり、脱字をしていたりとどうしようもない文章をまとめると、誘ってくれてありがとう。有意義だった、また一緒にでかけよう。というメールだった。
そのメールを見て雅は笑ったあと、じゃあ、また機会があればと返した。
次の機会は、彼から持ってこられ、次第に間隔が短くなり回数が増える。
これは、ちょっとやってしまったかな?と雅が思ったのは三回目。
確信したのは四回目。
傷が浅いうちに遠回しに釘をさしたのは五回目。
何度か釘をさして、決定打を与えるようなことをしたのは、十に届くかどうかのとき。
彼はその次会った時、雅を好きだといった。
雅はまだ、恋愛をするほどの余裕はないと、彼に言った。
性別にこだわりはない。けれど、恋愛感情で彼を見たことは一度もないとも、雅は言った。
彼は黙った。
俯いて、しばらくした後、泣きそうな顔で、それでも諦めないと彼は言った。
雅は困った顔をして、そうか。とだけ伝えた。
雅には恋愛感情で人を好きになったことは二度しかない。
一度目は叶わず、二度目は叶いはしたものの、結果としていいものでおわらなかった。
その後、それとなく人と付き合ってはみたが、もうしばらくは、恋愛はいいと思っていた。
誰の目からも、雅のことが好きで好きで仕方ない彼と会っていると、付き合ってみるのもいいかもしれないと思いもした。
だが、釘をさしても想いを繋げようとしていた彼を見て、それは出来ないと感じた。
結局、何もかもが中途半端なまま、雅は彼に特別を与え、利用する。
特別な名前。都合のいい条件。
チカと呼ぶたび、アドレス帳から彼の名前をひくたび、雅の良心は少し痛む。
一方的な関係を作ってしまっていた。
今更、やめようというのは都合がよすぎる。
ならば少しずつ離れていけば良かったのだろうか。
雅が卑屈なことを考えているうちに、季節は初夏を迎えた。
彼の疲れた声が、電話口から零れた。
大丈夫か?と尋ねずに、雅は彼の特別を呼ぶ。
『ああ、チカか?』
まるで相手を無視した雅の対応をよそに、彼は電話口で舞い上がる。
「そんなに、いいもんでもない」
雅は電話を切った後、呟いた。
呼び出しの電話から数日、久しぶりに会った彼は疲れていた。
見るからに疲れていて、思わず応接用のソファーをさして、寝るか?と雅が言うほどだった。
首を振って遠慮して、はじめてあったときが嘘のように、ちょこんと座った様子が少しおかしい。
雅が笑うと、彼も笑った。
なんだかんだ、連絡は取っていたものの告白があった日から、彼らは一度も会っていなかった。
彼から、雅に会おうとは言いづらかったのだろう。
雅から会おうというのもひどい話であるのに、彼は雅に笑う。
雅の言葉に喜ぶ。
その後しばらくして雅の耳に彼の寝息が聞こえた。
やっぱり疲れているんだな。
ふと笑ってしまい、雅ははっとする。
可愛いと少し思ってしまった。
今更、どういう意味で、可愛いというのだろう。
雅は少々考えた後、彼の欝陶しそうな前髪をはらった。
そして、隣に座る。
まだ、今を楽しめばいい。
雅は、この後のことを想像して目を細めて彼の寝顔を見つめた。
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