夏休みだった。
高雅院に逢いたいと友人に零した彼は、友人にとある喫茶店へ連れて行かれた。
それが、高雅院雅の引継ぎ合宿先であり、バイト先であることを知ったのは、笑顔を振りまき、彼の座るテーブル席へとやってきた高雅院雅を確認したときだった。
「……???」
黒いパンツに黒いベスト。白いシャツに黒いエプロン。
ありきたりな給仕服。
それは高雅院雅の魅力を損ねることなく、むしろ引き出してさえいた。
柔らかい笑みを浮かべメニュー表を持ってきた高雅院を、何も言うことができずに見上げていた彼は、友人…鬼怒川にテーブルの下で軽く足をぶつけた。
「…んだよ」
「聞いてない」
彼はなんとかメニュー表を受け取り、それで思わず口元を隠しながら尋ねると、鬼怒川は彼からメニュー表を奪い、眺めながら答えた。
「言ってねぇし」
「言え」
「…驚いたろ?」
「俺の言葉は無視か」
「誕生日、今日だろうがオマエ」
そう言われて、彼は自分自身の誕生日を思い出す。
夏の真っ盛りに生まれ夏休みということもあり、友人に祝ってもらうことが少ない彼は、目を見開いた。
「サプライズ」
彼の友人である鬼怒川省吾という男は、祝い事を唐突に祝ってくるきらいがあった。唐突で、顔に似合わず、さらには豪勢にだとか盛大にだとかとは無縁な状態で、さらっと祝うものだから、誰もが祝われている事実に反応が遅れてしまう。
しかもそれが、感極まるほど嬉しいわけではなく、ほんのり嬉しいという程度のものであるから、どういっていいか解らないことも多々ある。
彼も例外ではなかった。
「……あり、が、とう…?」
礼を述べるのに、言っていいのやらよくないのやら、頭は現状についていかないこともあり、首を傾げてしまうほどには、そのサプライズにどうしていいか解らなくなっていた。
「これ以外のプレゼントは用意していないからな」
「いや、これで充分だが。むしろ、これが一番だが。てか、貴様からプレゼントなど、気持ち悪くて何かあるんじゃないかと、夜も眠れない」
呆然としたまま言った彼の言葉は、酷いものであったが、鬼怒川は『ヒデェ』と笑うばかりだった。
友人のそういったところが嫌いではない彼は、いつか、この友人に何かしてやろう。と何となく思いながら、鬼怒川が見終わったメニュー表を見る。
彼は順を追って飲食物の名前を眺めていたのだが、一番下に何故か急いで書いたと思われる手書きのメニューをみつけて、首をかしげた。
「おいこれ…」
鬼怒川に尋ねようとすると、す…っと、高雅院と同じ給仕服を着た派手な男がやってきた。
「ご注文はお決まりになりましたか?」
知った顔であったため、彼はメニューを指差したまま複雑な顔をした。
そんな彼の顔をニマニマと眺めながら、男は続ける。
「そちらのほうですか?そちらは、私とあちらの店員のサービスでございます」
あちらのと、男が指した方向を見て、彼は眉間に皺を寄せた。
黒ぶち眼鏡のいかにも性格悪そうな顔をした男は、やはり彼の顔見知りだった。
「…パクリだろ、これ」
「何もきこえません」
きっぱりとしらばっくれる給仕に、そんなやりとりに興味のない鬼怒川。
これを注文することを期待しているんだろうな。などと思いながら、彼はあえて、それを注文しようとしなかった。
「サンドイッチとコーヒーのセット…鬼怒川」
「…日替わりランチ」
「かしこまりました。サンドイッチとコーヒーのセット、日替わりランチ、スマイルでよろしいですね」
「勝手に増やすな」
彼がつっこんだところで、男は訂正などしない。
スマイル0円と書かれたメニュー表をもって、男は他のテーブルに居た高雅院に声をかけた。
高雅院は一瞬楽しそうに笑い、彼のいるテーブル席を見た後、カウンター奥へと向かった。
「……」
周りで何がおこっているかわからない上に、高雅院が楽しそうに笑うので、何故、あの笑みは自分に向いていないのだろう。と当たり前といえば当たり前な理由で、彼は少し不機嫌になった。
そんなものはお門違いである。と思うと同時に、高雅院の楽しそうなさまはできれば自分自身が作りたいが、人が作ったものでも、それを見られることが嬉しいとも感じる。
「くっそ、高雅院がかっこよすぎる…!」
「その悪態はどうかと思うぞ」
しばらくして、プレートを持った高雅院が彼の席にやってきた。
そこにはサンドイッチと日替わりランチがあった。
高雅院はそれをテーブルに置くと、日替わりランチとコーヒーの説明をしたあと、彼に向かってふわりと優しく微笑んだ。
「スマイル、ですよね?」
彼がその笑顔に釘付けになっている間に、高雅院は彼の隣にすっと身をかがめた。
彼に敬語を使う高雅院は、久方ぶりであったし、このように給仕してもらったことなどない彼は、やはりただ高雅院を見詰めてしまっていたのだ。
「糸くず、ついてましたよ」
といいながら、さりげなく、彼の荷物に何かを入れて高雅院は去っていったことにも気づけずに、極上スマイルを堪能していた彼に、鬼怒川は思わず溜息をついた。
ぼーっとしたまま帰路につき、音楽を聴こうとMP3を出そうとした彼がバックの中から見覚えのない小袋を見つけるのは、それからかなりの時間がたったあとだった。
茶色い小袋には、名刺大のメッセージカードとドックタグの下に髑髏のついた、シンプルなキーホルダー。
それが、高雅院雅からの誕生日プレゼントだと気がつくのに、メッセージカードがついていたにもかかわらず二時間もかかってしまったのは、あまりの嬉しさからだったというのは、いうまでもない。