「………高雅院?」
『ああ、チカか?』
電話口から聞こえる低音は、人を落ち着かせる効果があるに違いない。
彼は殿白河という名字や読むことが難しい名前のおかげで、まわりの人間から『トノ』と呼ばれることが多い。
彼を『チカ』と呼ぶ人間はたったの一人だ。
高雅院 雅(こうがいんみやび)…他校で同じ立場にある人間だ。
『電話、ありがとな?』
電話越しに聞こえる声に、精神的な何かがすっ…と楽になると同時に、否が応にも盛り上がりを見せるテンションに、内心舌打ちしつつも、彼は短く答えた。
「いや」
彼の耳に、笑い声が届いた。
頭に電話相手の微笑を思い浮べ、先程、仕事を放棄して出てきたくらい腹を立てていたにもかかわらず、安易に浮上する自分自身の現金さにため息すらつけないほど、気分は舞い上がる。
『…電話をしたかったのは他でもない。チカに頼みたいことがあって』
「なんだ?」
舞い上がったまま見えてないにも関わらず1も2もなく頷くのは、もはや当たり前のことだ。
『実は…』
雅の頼みとあれば少しくらい無理なことでも押し通すことができると自負する彼は、雅の頼みに、本当に1も2もなくうなずいた。
雅にあえるだけでなく、頼みごとを聞いただけで、暇な日に付き合ってくれるという条件だったからだ。
「わかった。それじゃあ、今度の創立記念日あたりでいいか…?」
『ん。さんきゅ』
崩れた言葉の礼が嬉しくて、表情がまた弛む。
電話相手が高雅院 雅ではしかたないことだと、口元を軽く抑えるようにして隠す。
誰も見ていないとわかっていても、隠してしまうのは照れ隠しなのかもしれない。
「おー」
普段なら、話もまとまったことであるし、またな。と言って切るところであるが、彼は電話をなるべく長引かせたかった。
しかし、雅も忙しい人だ。
彼の思惑を感知したのかこういって、電話を切った。
『また、何もないときにゆっくり電話する』
感無量である。
彼とて何だかんだただの高校生だ。
小さくガッツポーズをとってしまうのも仕方ない。
だが、幸か不幸か。
彼はただの高校生なだけではなかった。
「なっ…!伊周が笑ってる…!?」
まだ生徒会フロアにいた彼は、生徒会室のドアを壊す勢いであけた、例の生徒が、見たこともないくらい上機嫌な彼を見て足を止めた。
そうか、まだ、このフロアにいたんだった。
今度は内心ではなく、しっかり音に出して舌打ちをした。
せっかくのいい気分が、地面にたたき落とされた気分だったのだ。
そのあとは散々だった。
何度も笑っていた理由を聞かれ、何度も孤独、理解、友達、親友という言葉を聞いた。
答えてやる義務はない。と、はぁ、へぇ?ほう。と気のない返事をし、約束ごとなどに対しては、きっぱりと否定的な言葉を並べた。
シャイだ遠慮だと並べ立てられる前に、用事もないし、仕事もしない。休むし、友人と遊ぶことだってする。そして、食事をするのは一人ではない上に、食堂では食べない。何より、一緒に食事はしない。遠慮ではない、配慮でもない。遠回しにいっても仕方ないからきっぱり、嫌だからと言った。
もう、随分色々いわれたため、否定は遠回しにしても意味がないのだと気が付いていた。
すぐ泣きそうになる様子をみながら、慰め役に押しつけて、手を捕まれる前に颯爽と去っていく。
声をかけられても無視。
突撃されたら…避けられるものなら避ける。
後ろから闘牛のごとく突進してくるため、そのうち腰あたりを壊してしまうのではないかと、内心苦い思いもあるからだ。
今回は、突進もされずうまいことその場から去ることできたので、上々である。
風紀委員室に寄って、友人を回収したあと、飯でも作るか…と彼は、歩をすすめた。