トノ。


殿白河伊周(とのしらかわ これちか)は疲れていた。
ある生徒が転校してきてからというもの、彼はただただ疲労していた。
その生徒は人一倍、声が大きい。しかし、それが疲れるというわけではない。
その生徒が、所謂美形と言われる生徒に魅力を発揮していることが疲れる原因でもない。
生徒会役員も例に漏れず、その生徒に好感情を表し、生徒会室に連日連れ込んでいることが疲れる原因でもない。
まして生徒会役員の一部が仕事をしないからといって疲れているわけでもない。
その生徒が悪戯に学校内をかき回していたとしても疲れる要因ではない。
彼は、その生徒が、こちらの都合もプライベートも無視した上でまとわりついてくることに疲労困憊していた。
その生徒の魅力にメロメロであった副会長も、生徒会長の疲労困憊ぶりには同情し、ストップしていた仕事を再開させたし、チャラチャラと遊び惚けているようにしか見えない会計も、その生徒が会長にからんでいるのをみると、引き離すことをしようとしてくれる。
いつも他人事に首を突っ込み引っ掻き回す双子さえ、その生徒が会長を見かけないようにしてくれていた。
それくらい、生徒会長の憔悴ぶりと疲労困憊ぶりはひどかった。
なまじ、普段より俺様だ、唯我独尊だと言われている生徒会長なだけに、その様子は顕著なものだった。
いつも偉そうに見え、自を通してるように見える生徒会長が、見る間にボロボロになったというよりも、あからさまにげんなりした様子というのは、見ていて可愛そうにみえたのだ。
「伊周〜!」
あの底抜けに明るくて、男にしては高めの声が呼ぶ名前は、きっと自分の名前ではない。たとえ、それが現代人の名前とは思えない名前であっても。
彼はそう思って、耳に痛いくらいに飛び込んでくる声を無視する。
「コレ……っ!?何すんだよ!藍次(アイジ)!」
「トノ会長、仕事してるしほらぁ〜」
「俺は伊周と話したいんだよ!あんな毎日仕事ばっかしてさ!たまには休憩しねぇと!!」
「いやいや、会長はお仕事おわらせてから遊んで…」
「何いってんだ!仕事してないときなんてねぇじゃん!このままじゃ伊周倒れちまう!」
倒れるほど仕事なんてしていない。
と思いながら、相手にしては付け上がるだけだと自分に言い聞かせていた彼の沸点は、ある一言で一気に低下した。
「トノ会長もちゃんと休んでるからぁ」
「おまえら伊周の何見てんだ!?そんなだから、伊周は仕事ばっかりしちゃうんだ!」
「いや、だからねぇ」
「おまえらが理解しようとしないから、伊周は孤独なんだっ!」
ぐっと自分自身が沸騰したのがわかった。
「…うるさい、この下等生物が…」
低く呟いた言葉に反応したのは、お茶を持ってきてくれていた副会長だった。わずかに眉をあげるという、小さな反応であったが。
「伊周!おまえもなんとか…」
「黙れ!この単細胞生物!!」
今、渡しかけていた茶をぶちまかれたくない副会長と、地味な攻防をした後に怒鳴った彼は、無駄に豪華な椅子から立った。
「貴様のお望み通り休んでやるよ、今、すぐに…!」
「名前で呼べって!つか、じゃあ、俺といっし」
「貴様などと一緒にいたら休むものも休まらん!貴様に出ていけといっても効力がないのは、もう知っている。俺が出ていってやる」
そういうや否や、生徒会室から一緒に出てこようとする転校生を放り投げ、生徒会室にぶち込んだあと、中から鍵をあけることが出来ることを知っていたので、持っていた鍵で施錠する。
あれほど落ち着きがないのだから、鍵をあけられることに気付くにはきっと時間がかかるに違いない。
そう思い、彼は生徒会室の鍵をポケットにいれ、足早に生徒会室から遠ざかった。
本当に仕事の一つどころかカバンさえ持っていない彼は、携帯電話だけは持っていた。
携帯のサイドボタンを押して確かめた時間を見て、眉間に皺を寄せる。
彼は疲れていた。…だから、癒されたかった。
そんな時でも、都合や時間を慮らなければならない電話先に、そして、そんなことをしてしまっている自分自身に舌打ちした。
電話をしたい相手も今は放課後のはずだが、まだ学校内にいるかもしれない。
だからといって、校内で電話をしてはいけないというような人でもない。
しかし、万が一、それで非常識だと思われるようなことがあったとしたら…不快に思われたら…と思うとどうしてもできないのだ。
携帯のサブウィンドウを睨んでも時間は進まないことは知っている。
しかし、睨んでしまうのも仕方ない。
そう思っていた彼を知ってか知らずか。
まだ生徒会フロアと呼ばれる場所から立ち去っていなかった彼の目に、時計の文字以外が入った。
イルミネーションは、特定の人物にしか設定していない水色。
それを点滅させながら、ウィンドウに映った文字はメールあり。
思わず立ち止まり、素早く携帯を開いた。
顔が自然とゆるむ。
これも仕方ない。
『電話して大丈夫か?』
大丈夫だと返事をする前に電話をすべきか、それとも返事をしてかけてもらうべきか、悩んだ。
悩んで悩んで、彼は前者をとった。
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