「何故だ」
彼は驚きを一言で表した。
永遠にこなくてもいいと思った順番がまわってきて、やる気なく走り出した彼らを待っていたのは、殆ど何もない空間だった。
そこには、来賓のテントで別種の空気をつくっていた他学園の有名人達がいた。
あるものは机に座り、あるものはホワイトボードの前に立ち、あるものはストップウォッチを片手に立ち、あるもの達はただ立っていた。
なにより彼を驚かせたのは、一番後ろに控えて悠々とパイプ椅子に座っている男だった。
男は彼に気がつくと、小さく微笑んだ。
それだけで、驚きや疑問などは飛んでいく。
それほど、男は…高雅院雅は彼にとって重要な人物だった。
「はいはい、トノちゃん舞い上がってる場合じゃないよー?このショッボいアトラクションの説明するねぇ?あ、アイちゃんおひさしぶりっこー」
晃二がホワイトボードの前でニヤニヤしながら、書いていた文字を消した。
競技参加者は誰一人としてブラックボックスから出ていないはずであるのに、そこには他学園の人間と最後の参加者たちしかいなかった。
「まず最初にそちらのお二人ー。我が学園の自慢の風紀委員長と副委員長の水城と本宮が君たちがこちらに来るのを邪魔してくれるので、それを30秒以内で通り抜けてください。できなかった人は漏れなくあちらへ」
あちらと晃二が示した場所はゴールにつづく出口ではなかった。
何処に繋がっているかは解らないが、果てしなく人を不安にさせるような門構えの出口だった。
「とおり抜けたら、第二関門。我らがロックスターで生徒会長の灰谷とストップウォッチで十秒に近づけてくださーい。灰谷にまけたら、やーっぱりあちらへ」
にこやかにまるでバスガイドのように、あちらへと示す晃二は楽しそうであるが、胡散臭い出口は非常に妖しい。
「灰谷に勝ったら、元生徒会副会長の那須とレッツスタディング!早く間違いなく掛け算の表を埋めてくささい。もちろん負けたらあちらに」
人差し指をクルクル回しながら、指し始めた晃二の指す方向は、最早誰も見なかった。
「はーい。そして次はなんとー!俺、かと思いきや、元生徒会会長、高雅院のもとにいってくださーい。赤面したら貴方の負け!負けたら、はい、いうまでもない」
もう晃二ですら指し示すことがなくなったそこからは、時々悲鳴が聞こえた。
「高雅院のたらしにすら勝てた貴方は、俺と最後の戦いでーす。今のところ、此処まで辿りついた人はいないぞ。が、ん、ば、れッ」
ひらひらと手を振る晃二に、彼は思わず怪しい出口と晃二とを交互に見詰め、こういった。
「なんで、ピンドンパラダイスという看板があって、ピンクとハートの出口なんだ?」
「トノちゃんそれは、俺が作ったと仮定してきいてるね?」
「当たり前だ」
「君は正しい!」
ホワイトボードにわざわざ、『That's right!』と書かなければいけない理由を彼は尋ねなかった。
「ノリで作ってみました。あんなところにいけるだなんて心はワクワクかなっと思って」
誰もワクワクはしないと、その場にいる誰もが思った。
もちろん、作った本人も例外なくそう思っていた。



彼は確信していた。
高雅院のところまで行けたとしても、それ以上は無理だろう。
晃二の言った言葉をヒントに、彼は考えた。高雅院は対峙した人間をタラシ込むことが課せられているのではないかと。
何の捻りもなく、高雅院が好きだといってくれるだけで、赤面する自信のある彼は唸る。
できたら、この競技をかっこよくクリアした姿を見せ付けたいのに、それを見せ付けたい人間に邪魔をされる。
軽く葛藤すらした。
その間に、まず、古賀が風紀委員に門前払いされた。
古賀とナツが邪魔をされている間、ちゃっかり通りぬけたのが古城と彼だった。
彼は葛藤しながらも、しっかりちゃっかり競技に参加していた。
古賀は30秒以内にそこを通り抜けられず、ナツはギリギリ通り抜けた。
思い切り本宮が舌打ちをしたが、その次の難問が無表情ながら少し楽しそうな雰囲気を出した。
次の難問の灰谷は三人にストップウォッチを渡し、準備ができた判断するとスタートの合図を一言に要約した。
「スタート」
十秒など短いものだが、はかっているとなると焦るものだ。
未だに葛藤していたトノはナツにつられてストップボタンを押した。
ストップウォッチのストップを押した順はナツ、灰谷、古城、彼だった。
灰谷と古城の差は0.1秒差。彼はなんと、他人に釣られてストップボタンを押したにもかかわらず、十秒ぴったりだった。
そこでナツは脱落。
ナツがピンドンパラダイスに向かおうとすると、先にピンドンパラダイスに向かった古賀の悲鳴が響いた。
ナツの動きが一瞬ビクリと止まった。
彼と古城は、ピンドンパラダイスに思わず振り返って、すぐに俯いた。
ピンドンパラダイスは非常に目に痛い色づかいでもあった。
次に机に座った那須龍哉が掛け算の表を表示するタッチ機能つきのモバイルパソコンを渡してくれた。
「はい、では、スタート」
というが早いか、龍哉は掛け算表を埋めていく。
タッチパネルの操作もさながら、掛け算の答えを埋める行為も異常な早さだった。
たまに顔を上げて二人を確かめる余裕すらあった。
いや、龍哉は途中で掛け算をやめていた。
手加減かよ。というツッコミは二人ともしなかった。
それほどピンドンパラダイスがいやだった。
「お、殿白河終わったな。本気出すぞー」
彼が終わったと同時に龍哉が一気に畳み掛けたのには、古城があわてた。
間にあったにも関わらず、掛け算を間違えてしまい、失格。
古城もピンドンパラダイスの餌食となった。
「おにーたま性格わるーい」
「しってるー」
那須兄弟の会話をなんとなく聞きながら、彼は高雅院と向き合った。
「…その、高雅院」
今までパイプ椅子に座っていた高雅院雅は少しだけ首をかしげたあと、トノに手招きをした。
コレは罠だ。
わかっているにも関わらず、彼は高雅院のその仕草に逆らえず、フラフラと高雅院の傍まで引き寄せられていった。
傍まで行くと、彼はぐいっと高雅院に引っ張られ、耳元で低く囁かれた。
「伊周…いい子だな」
身を退くことも出来ず、腰砕けになり、その場に耳を押さえて座り込んだ彼を誰も責めはしなかった。…ニヤニヤと見詰める人間は二人ほどいたが。
「伊周?」
高雅院雅が、名前を呼んでくれている。
しかも、これ以上となく…
認識した瞬間、彼はヤンキー座りのまま顔を真っ赤にした。
「はい、トノちゃんアウトー。ピンドンパラダイスにめんそーれー」
その日、彼は高雅院が名前を呼んでくれたというだけで、翌日まで浮ついた、否、翌日も浮ついた気分でいた。
ピンドンパラダイスについては、その餌食になった誰もが口を噤んだ。
もちろん、幸せにひたっていた彼も、例外ではなかった。
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