体育祭が終わると試験を挟んで白鶯学園祭があり、彼は忙しかった。
そう、忙しかったのだ。
しかしある日、彼は違う学園の文化祭にお邪魔することにした。
息抜きは適度に必要だ。彼はそう自分自身に言い訳をしてお祭り騒ぎになっている街にやってきた。
駅をおりてすぐ、目眩がするような人込みにのまれ流され…気が付くと彼が行きたい学園とは反対側にあるAP学院の前にいた。
奇人変人ばかりいるという噂の学院も本日より二日の間学院祭である。
彼が行きたかった学園と、今、彼が目にしている学院は同じ日に文化祭をし、街を一つ丸々巻き込んでお祭り騒ぎをすることで有名だ。
彼はこの街の祭りがここまでだとは思っていなかった。学院を目の前に途方に暮れ、挙げ句仕方なく行きたかった場所に向かうことになるほどとは。
不意に彼の携帯がポケットの中で震えた。
彼はポケットから携帯を取出ししばしそれを眺め携帯を見なかったことにしようとした。しかし、携帯電話はしつこく震えた。
そして、彼は仕方なく携帯電話を通話状態にする。
「……」
『雅のタイムテーブルを教えてやろうという親切心をめずらしく発揮した俺にたいしてひどいとは思わないのか、殿白河』
「…おまえの場合はいらん世話だろう、晃二」
『あらやだちょっと兄上に似せたのに!これって愛?』
どうやらスピーカー設定にされているらしい。
雑音と携帯の持ち主である龍哉が近くで笑っている声が彼にもよく聞こえた。愛なんじゃないか?と茶化している龍哉に、そんなわけがないと思いながら、彼は先を促す。
「で?タイムテーブルは?」
さっそうと電話に気をとられることなく真っ直ぐ、危なげなく歩いている彼の姿は、堂々としたものだ。向かいからくる人間は思わず彼を避ける。
『あ、ちょっと待ってね。みー先輩みー先輩』
いい加減名前定着させろよ。と呆れたよな声が携帯から聞こえた瞬間に彼は歩みを止めた。
歩くことより、電話を優先したのだ。
『誰?え?あぁ、チカ?』
未だ電話に向かって話しているわけではないが、彼には一語一句聞き逃せるものではない。
まわりの人の声がうるさくなったように思い、彼は道の隅に寄って携帯の向こう側を待つ。
『何を…タイムテーブル?わかった…チカ、一度切る。すぐかけるから、少し待っててくれないか?』
「おう」
即答して、彼は高雅院の言葉を反芻する。
すぐまたかけなおしてくれる。高雅院自ら。
それだけで舞い上がることができるとは、いつそんな安い人間になったんだ。とは思うものの、うれしいものはうれしいのだから仕方ない。
彼はぼんやりと携帯を見つめる。龍哉の携帯番号が消えて五分ほど。高雅院雅の文字が携帯を飾る。
「…はい」
『チカ?高雅院だが』
「ああ」
『タイムテーブルを教える話だったな。コウが言うには絶対今、ここにいると…』
「そうだ」
何故晃二が知っているかということは、彼にとってどうでもいい。推測されたのでも、誰かの情報でも、どちらでもいい。現在高雅院雅という人間が電話を掛けてきたという事実が、耳元で聞こえる声が、大事なのだ。
『白鶯も今、忙しいんじゃないのか?』
「おどしつけてきた」
夏前、忙しくて寝る暇も無かったナァ。と言うだけで生徒会役員たちは、あ、は、はい…といって簡単に彼を送り出してくれた。
『脅し…?』
彼は高雅院に生徒会の内情を言ったことが無い。
高雅院も彼が疲れているなというのは解っているようではあったのだが、その原因の一部を知らなかった。
だから、一体何で脅したのかということを疑問に思うのも仕方ない。
だが、高雅院はけして彼が脅してまで文化祭に来たことを責めたり、叱ったりはしない。
「気にしないでくれ」
『解った』
案の定、高雅院はそういって電話口で頷いただけだった。
『それで、今どこだ?』
「ステージがあるところだ」
『ああ。あそこか。解った。そっちで待っていてくれ』
え?と彼が聞き返す前に、高雅院は電話を切った。
高雅院が待っていろというのなら、待っているのが彼だ。
たとえタイムテーブルが解らなくても、一日中でも待っていられる。
とりあえずステージ近くのベンチに座り、携帯を弄っていると、副会長から電話がかかってくる。
普段ならば、その電話は取らなかっただろう。
休みの日に仕事の電話などとりたくないからというよりも、高雅院を待っている間のちょっとした楽しい時間を同僚みたいなものにとられたくないという理由からだ。
しかし、携帯を弄っていたため、ワンコールもしないうちにとってしまった。
彼はしばらく携帯を眺めた後、静かにこういった。
「…おかけになった電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめの…」
『そんなわけがないじゃないですか。馬鹿ですか?』
「馬鹿でいいから電話かけてくんじゃねぇよ」
『そんなことはどうだっていいんですよ』
彼の通っている学園の副会長は、少々我儘な男だ。丁寧な口調に騙されがちだが我儘さと強引さに、昔からそれなりの付き合いがある彼には、早くも生徒会の仕事についての文句で電話をかけてきたことが解った。
脅しつけ、押し付けてきた彼がよくないのだが、それにしても早すぎる。
『あの子がかわいい我侭をいって仕事にならないんですよ』
「その我儘はすでにかわいくねぇよ」
『正直ちょっと鬱陶しいですが、そこは問題じゃありません。あなたがいるととても能率がいいので、さっさと帰ってきなさい』
「一日ぐらい寝ないで作業してろ。どうせ、承認いるもんは全部終わらせてあるし、受理は月曜以降のばっかじゃねぇか」
『それでも、すでにぐっちゃぐちゃです』
彼の所属している生徒会には整理整頓ができない双子がいる。庶務が何かと頑張って処理してくれているのだが、間に合ってはいないだろう。会計は会計で、文化祭は特に忙しいらしく、ありとあらゆる場所に電話をかけては無茶振りしたり喧嘩をしたり、クラブに教室にと急がしそうにしていた。
副会長は会長のかわりもできるはずなのだが、自分のやるときめたこと以外をしてくれない。
「てめぇ…働け」
『嫌です』
あくまでその場を動くつもりのない彼は、電話越しに喧嘩をしていたため、気がつかなかった。
後ろから高雅院が近づいていたことに。
高雅院は彼の話を後ろからしばらく聞いたあと、彼の肩を叩く。
彼は思わず後ろを振り返り、見上げ、何か言おうとしたところで高雅院に手で口をふさがれ、携帯を奪われる。
『ちょっと、聞いてるんですか!』
「…もし、そちらの件がすぐさま片付くなら幾ら出す?」
『……はぁ?』
「場合によっては、いい人材を派遣する」
『え?はぁ?なんですか?ちょっと意味が解らないんですが!』
「じゃ、なかった話だ」
『え、ちょ』
思い切りよく電話を切って、高雅院は勝手知ったる他人の携帯を操作して副会長の番号を着信拒否にした。
「悪いな、割り込んで」
「…あ、いや…」
大人しくしていた彼は、携帯を返してもらいながら、こんなことをする人だっただろうか。と首を傾げる。
「今は俺が自由時間だ…が、場合によってはこの後すぐ戻らなければならないかもしれない」
高雅院が後ろからやってきてからというもの、何か置いていかれているような気分でいる彼は、頷いていいのか、それを惜しんでいいのかわからない。
「それよりチカ。また電話がかかってくる前に、デートでもしようか?」
高雅院の口から『デート』という単語が出てきた時点で、副会長から別の人間の携帯を使って電話をかけてこられようと無視して文化祭を楽しもうと、彼は心底思った。