高雅院が生徒会室に向かう途中、緊急校内放送がかかった。
文化祭に忙しい生徒たちに、誰かが偉そうに、上から目線で華美を廃し、普通の学生のできる範囲精一杯でということをいかにもらしく言い切ったあと、ご苦労。とこれもまた偉そうにねぎらいの言葉を告げた。
高雅院はその放送に笑ったあと、生徒会室の扉を開く。
そこには、ごちゃごちゃした生徒会室が広がっていた。
「これは…ひどい」
補佐と双子は仲良く片付けをしているように見えたため、そのままにしておいて、なにか理解不能な寝言を言っている人間がいるのもほおっておく。副会長もどうやら仕事をしているようだし、ほっておこう。
もうすでに、怒りが飛び越えて、泣き出しそうな会計に、そっと近寄って、高雅院は会計の古賀の肩を叩いた。
「え?」
「代わってくれるか?」
「え?」
と言ってる間に、古賀の持つ受話器は高雅院の手に渡った。
「すみません、今、古賀と電話を変わりました。高雅院と申します」
丁寧な調子で、一方的に罵っているやら文句をいっているやら注文をつけているやら。
とにかく電話口に文句をいうことでいっぱいだったらしく、校内放送を聞いていなかった電話口の向こう側の相手に、何度も何度も相槌をうち、高雅院はこういった。
「誠に申し訳ありません。ええ、その通りですね。それで、予算を増額して欲しい。ということなのですね?はい、はい…。ええ、申し訳ありませんが、それは古賀も言った通りで…はい」
苦情を聞くだけ聞いて、謝り倒し、挙句、相手をおだて、さらに、あなたならできますよ!とおだてて木に登らせた。
そうしてとりあえず電話を向こうからきらせた。
あちらの要求をまったくのまず。
「すっごい…」
「怒っているのに怒ってもいうことはきいてくれないからな。ただ、今回はチカの放送があったおかげだな。このあとかかってくることはないと思う」
クラスメイトにトノ様のご意向を聞くから。と笑った高雅院は心底楽しそうだった。
「あ、て、いうか…高雅院会長…じゃなくて、高雅院先輩?う、ん?さん?は、どうして、ここに」
「ああ。それ」
高雅院は古賀に受話器を渡し、そこから離れ、副会長のそばまでいくと、他校の人間に生徒会室の扉を開けられぽかんとしているしかなかった副会長に近づく。
「外村、少しいいか?」
「え、あ、はい」
「殴っても?」
「はい…?え、ちが…それは、いけません!」
「それは残念。こちらとしても、せっかくめったに会えない人が来ているというから浮かれた気分でいたら、出会い頭から電話で喧嘩をしている怒鳴り声を聞かなければならなかったし、一緒にいる間も嫌と言うほど電話に邪魔をされるし。そうだな、最初から邪魔され通しだったわけだが。この時の俺の気分というのは、わかるか?」
あくまで優しくゆっくりと、相手に意見を求めるように尋ねてくるのだが、副会長の外村は生きた心地がしなかった。
「あ、その、非常に、残念な気持ち、かと…」
これでわかりません。だとか、さぁ?だとか言ったものなら、そうか。といって、ソファを蹴られていたことだろう。
「緊急なら仕方がない。だが、話をきいているとそうでもない。さて、この時の俺の気分はどうだと思う?」
「いい気分では、ない、かと…」
「そうだな、最低だなァ」
心持ち音が上がった言葉じりに、外村は今まで接してきた高雅院を思い返す。
品行方正、とまではいわないが、非常に生徒会長にふさわしい堂々とした素晴らしい人柄で、こんなふうに優しそうなふりをして人を脅したり、不良のような言葉を使うような人ではなかったはずだと。
「さて、ここで問題だ。出来た人間のようで実はそうでもなく、大人げなく殴り込むような人間がすることはなんだと思う、外村」
高雅院の足が外村の座っているソファに接触する。
これは、絶体絶命のピンチなのではないだろうか。
外村がそれでも、おそるおそる口を開こうとしたときに、生徒会室の扉は開く。
異様な空気につつまれ、整理整頓の手を停めて役員の三人は副会長と高雅院を見守り、呆然と電話の受話器を持ったまま立っていることしかできない人間が一人。
そして、異様な雰囲気になっている人間が2人。
「……ああ、チカか」
振り向いた高雅院には、扉を開いた彼が見たことのない圧力があった。
声もかけられないで、黙っていると、高雅院は一度副会長を見て、もう一度彼を見、結局副会長に視線を向けた。
そして副会長の耳元に、顔を近づけ小さく、高雅院は囁いた。
「…運がよかったな。今度から誰かに助けてもらえるように、たすけあいの精神というやつを学んでおくといいかもしれないな?そうすれば、俺がこうやって来ないで済むかもしれないし?」
高雅院は足を床に戻し、そのあとは副会長を見もしないで大きく息を吸って、はいた。
それだけで、高雅院はいつもどおりだった。
「悪いなチカ。手伝いをするつもりが、少し随分気分が勝ってしまって感じを悪くしてしまった」
「いや…」
ちらりと、副会長を見て、副会長に何を言ったのだろう。あんなに顔を近づけて。とほんのり嫉妬していた彼は首を横にふる。
「ああ、でも、多分今度から、副会長も色々してくれるはずだ。ナァ?」
最後のナァ?には何か非常に重たいものを感じずにはいられなかったが、副会長は思い切り良く首を縦に振った。
「さて、じゃあ、仕事を手伝いたいんだが、一緒の部屋だとはかどる気がしないんでな。別室はあるか?」
「仮眠室が…」
「机は?」
「折りたたみがあったはずだ」
「それを使わせてもらおう」
そう言って、会長机にきれいに手つかずで置かれている資料に手を伸ばそうとしていた高雅院の手を慌てて捉えて、彼は言った。
「高雅院は、何もしなくていい」
「…手伝いにきたんだが…」
「それは、すごく助かるし、嬉しいんだが…俺が、すべきことだ」
高雅院はしばらく彼を見つめたあと、嬉しそうに笑って、こういった。
「チカ。できたら手伝わせてくれ。…早く終わらせて、文化祭を楽しみたいだろう?」
より長く、一緒に。
と、言外に匂わされ、舞い上がらない彼ではない。
しかし本日は既に反省済みだ。
これ以上厚意をことわっても、逆に気持ちがよくないし、わざわざこんなところに来てもらっておいて、やっぱりご遠慮願いたいではひどすぎる。
彼は高雅院に頷くことにした。
「ん。じゃあ、その手、離してもらえるか?」
そして、彼は漸く高雅院の手を止めるために手を握っていることに気がついた。
何故よりにもよって手など握っているのだ。
腕だって手首だって、あっただろうに。
とめまぐるしく思い浮かべては消え、思い浮かべては消える中、手を素早く離した彼は、しばらく手が洗えない…という乙女の気分がわかるような気がした。