彼が電話を切ったその日以来、彼と高雅院の関係はもとに戻った。
その日はそれ以上の連絡が入ることはなく、翌日に着信したメールは今までと変わりない内容で、彼はほっとするやら、あの言葉はなんであったのかと少し悩むやら。
何事も無かったとしか思えない高雅院の様子に、深く追求するのも何か違うような気がして、彼はあれは幻聴だったのだと思い込んだ。
そう、そうでなければ、『付き合わない』といった男の心変わりに何があったのかまた悩まなければならないし、一日どころか毎日何も手につかない。
それは彼が理想とする高雅院雅の隣に居る自分自身とは違ったものになってしまう。
できたらそれは避けたいところだ。
そんなイレギュラーな出来事があっても、新学期は待ってくれず、生徒会役員の選出期限が迫っていた。
「こんな微妙な時期に…」
「仕方ねぇよ。選出方法が特殊なんだから」
生徒会役員候補と呼ばれる人間の資料を眺めながら、彼は同じように風紀委員候補の人間の資料を睨んでいる鬼怒川に微妙な顔をした。
「風紀はいいだろうが。完全引き抜き制だろう」
「その完全引き抜き制のせいで、生徒会より先に勧誘しなけりゃならないんだぞ?」
「そうかもしれねぇけど。こっちは断られた時の対応だの、使い物にならないかもしれない連中をどうにかしなきゃならないだのと面倒な…」
「完全能力制とかにしてくれりゃいいのにな」
学園の生徒会は、人気投票という名の全生徒参加のアンケートで決まる。
成績や能力はまったく考慮されず、抱きたい、抱かれたいというアンケートのトップ達が生徒会役員にならないかと打診される。
断ることはもちろん可能だ。いろいろな特典もつくのだが、それをおして有り余る労力に嫌だという人間も少なくない。
そんな人気投票なのだが、ある年から、抱きたい、抱かれたいという項目以外の項目ができた。
その他というものなのだが、これの得票数が異常に多く生徒会に入ってしまった人間がいる。
殿白河伊周…つまり、彼だ。
「今年も断然、その他が多いって聞いたんだが」
「三年も会長とか冗談じゃねぇよ。俺は、高雅院と同じ大学に行くために…いや、行けなかったとしても、近くの大学に行きてぇし」
「高雅院の行く大学もわからないくせに、よく言ったな」
「……とにかく、勉強さえしとけば入れる…はず」
「無計画にも程があるだろ。ちゃんときいとけよ」
彼は頷く。
その他には、どうして投票するか必ず書かなければならないコメント欄があり、そのコメント欄には、前年会長だったからというものから、会長はあなたしかいません!というもの。誰よりもあなたが好きですというものまで。色々な理由が記される。
最初のその他にも、今現在のその他にも一番多いのは、抱きたいとか抱かれたいとかじゃなく、好きだから。とか、一番いいと思うから。とか、そういった意見だ。
それは、高雅院に出会ってからの彼へのものであり、昔の彼には抱かれたいが一番多かった。
「…とにかく、断る予定なんだよ。そうなると、会長指名制度が出てきてだな…」
「最初は人気投票なのに、どうして断ったら、前会長に指名権を与えるんだろうな」
「よくわかんねぇとこだよな」
その指名権を行使し、生徒会長を選ぶために彼は資料を睨んでいる。
「今の生徒会連中がそろって二年ばっかりっつうのもなぁ…」
「双子くらいだろ、一年は」
彼が頭を抱えている間にも、鬼怒川は次から次へと資料をよけて、風紀に呼ぶ新人をわけている。
「あ、それ、次代の一匹狼とか言われてる奴だろ」
「一匹狼って継承なのか」
鼻で笑ってキッチンへと声をかけた鬼怒川に、キッチンから声が返ってきた。
「知らねぇよ。大体、勝手に呼ばれてるもんに継承もクソもあるかよ」
すっかり晩御飯は古城にお世話になることが多くなった彼は、次代の一匹狼の小さな写真を指さす。
「継承もクソもねぇだろうけど、噂によると、目が合ったら殺されるとか」
目つきの悪いまだ幼い男は、証明写真では黒かった髪を今は赤に染めており、中等部でよく目立っているという。
鬼怒川はその資料に特別に風紀が付け足している裏資料をめくり、一匹狼の名前を、ありがたくもなく頂戴している男に一つ尋ねた。
「一回、てめぇと喧嘩してる記録があんだけど」
「……風紀のその情報網なんだ?それ、教師にも風紀にも、まして生徒会にもしょっぴかれてないんだが」
「そこは、気にしたら負けだろ。風紀委員会という集団を考えてみろよ。トップがまず怪しい事務所に出入りして、ナンバーツーがただの変態だぞ?」
彼のいうことに、キッチンから大皿をもってきた古城は納得した。
「何があってもおかしくないな」
「…どこに納得したかはきかねぇぞ。とりあえず、喧嘩したんだろ?」
大皿を持ってきた古城を見るやいなや、彼と鬼怒川は資料を机の端に寄せ、グラタンが詰まった大皿のために机の真ん中を開けた。
古城はグラタンを机の中心に置くと、頷いた。
「ちょろかった」
「きいてはいけないことを聞いた気ぃする」
続いてサラダ二種、スープ、パンを持ってきた古城を見て、彼は資料を急いで片付けた。
古城の噂は色々あり、風紀委員長との不仲が一番よく聞く噂だが、その次によく聞かれる気に入らない奴は再起不能というものを思い出したからだ。
少なくとも気に入らないだろうことを我慢している姿も見受けられるので、そんなことはないのだろうとは思うのだが、噂には種というものがあるものだ。
その種が古城のいう『ちょろかった』に起因しているのなら、彼は古城への態度を慎重にせざるを得ない。彼は暴力ごとは不得意ではない。しかし、すすんでしようとも思わない。
「大丈夫だ。暴力ごとは本気でクることがない限り、自分からすすんでしない」
「この負け狼は、ちょっとした興味心で古城に関わったみたいだな」
「……そこまでわかってるなら、俺に聞く理由ってのはねぇだろうが」
鬼怒川の座っている椅子の足を蹴ったあと、古城も食卓につく。
鬼怒川もいそいそと資料を片付けると、密かに用意されていたお手拭きで、手をふく。
彼も同様に手をふくと、三人して神妙な顔をして手を合わせる。
「いただきます」