all right!



 バイクは熊田、熊田、熊田バイク
 そのラバー製の鈴付きキーホルダーを見たとき、脳裏に母がよく歌っていた歌を思い出した。
 母は熊田バイクの店主の一人娘で、根性がありそうな姿でバイク屋にきた父は母に一目惚れをした。
 大きな店ではなかったにもかかわらず、祖父の独特なセンスにより店には熊田バイクの洗脳宣伝ソングが流れていた。それを聞きながら育った母も独特なセンスを持っており、また、その独特なセンスを息子である長兄も受け継いだ。
 その結果が、熊田バイクマスコットキャラKBくんラバーキーホルダーだった。
 KBくんは熊出没注意と言われそうな獰猛な顔をこちらに向けて、バイクにのった、マスコットというには少し可愛げに欠ける姿をしており、人に好かれるには少々威嚇をしすぎている。
 しかし、このKBくんでストラップを作ろうかと考える程度にはキーホルダーは品薄である。その理由はいたって単純。現在の熊田バイクの店主である長兄が、自らそのキーホルダーを人に渡すからである。
 一度としてキーホルダーを返されたことがないという長兄は、昔ちょっとおいたがすぎてしまった人であり、今もその面影を残す。しかし、兄貴肌で男前な長兄がにやっと笑って『おまけに付けておくな』などと言ってしまえば外すことができない。
 体のいい押しつけだなと思っていたのだが、こればかりは兄のどうかと思うセンスと押しつけに感謝した。
「テメェ、なんで鍵に鈴なんてつけてやがんだよ!」
 最近入ってきたばかりのあまり見たことのない奴が、ある人に絡んでいた。
 今時そんなことを言ってカツアゲをする奴もいるんだなというような要求にわざわざ答えて、その場でジャンプしたその人はいかにもだるそうで面倒くさそうにポケットに入っていた鳴り物…キーホルダー付きの鍵を取り出した。
 今時それはないというようなことを言っていてもカツアゲはカツアゲ、そろそろ止めておこうかと思っていたところに、その鍵だ。
 どうしようもない八つ当たりに、口を開いたその人の声に、俺はゾクッとする。
「付けられてそのままなだけだが」
「はぁ!?んなこときいてねぇし!」
 それは聞いていないだろう。
 俺も、もはやカツアゲの八つ当たりなど耳に入っていなかった。
 俺の部屋は、熊田バイクの入口の上にある。
 窓を開けずとも階下で話していることがよく聞こえるその部屋で、俺は熊田バイクの客と店主の話をきくとはなしに聞いていた。
 その中に一人、次兄や店員の知り合いである男がいた。
 顔は部屋から窓を開けて覗けば見えたから知っていたが、ちゃんとみたことはなく、楽しそうに話していく声だけはしっかり覚えていた。
 最初は兄貴達と対等に話していることが珍しいなと思っていた。しかし、その人が来店を重ねるごとに、話を聞いているうちに、聞き逃さないようにしているうちに、俺はその人に興味を持った。
 そして、今、だるそうに話し、KBくんキーホルダーのついた鍵を取り出したカツアゲされている人間は、その人だった。
 だからこそ、俺は趣味の悪いキーホルダーに感謝をした。
 あれは他にはないグッズだからだ。
 なんの隔たりもなく聞こえるその声は、俺を動かすには十分で、面倒くさそうな姿はなんとも視界に訴えるものがあった。
「…ハァ?…、ん??」
 急に現れた俺にカツアゲしていた奴が顔を真っ青にする前に、俺はその人の胸ぐらを掴んで引っ張り、唇を合わせていた。
 ずっと聞いていた声と、近いとはいえない距離から見ていた姿が目の前にあるというだけで耐え切れなかったのだ。
 これはもしかしなくても、恋というやつではないだろうか。
 そんなことを思っているあいだに、俺の行為はエスカレートしていた。
 不意に、腹に鈍い衝撃。
 腹を抱える前に、素早く離れた俺に、その人は吐き捨てた。
「……金は出すつもりねぇから大人しくしておいたら、なんで野郎にキスなんぞされなきゃならねんだよ。気分わりぃわ」
 俺がそうされても吐き捨てただろう。
「え、あ、ええ?総長…?」
 俺がこの場に居たということでさえ、驚きの事実であったのに、突然男とのキスシーンを見せられたらそうなるのは必然だろう。
 呆然としているやつのことは無視をして、俺は、その人に向き合う。
「あんた、熊田バイクの常連客だろ」
「はぁ?」
 俺は長兄によく似ていると言われる笑い方で、ニヤリと口角をあげて笑っていた。
「俺はそこの、三人目」
 何かに思い当たったのか、その人は眉間に皺を寄せ、長いため息をついた。
「あの常識なってねぇ馬鹿どもの三人目じゃしかたねぇわ…」
 兄達との長い付き合いが思われる言葉だった。

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