「ベタ惚れ」
「そう。ベタ惚れ」
その消えた恋愛の中に、不意にイツミくんの顔が浮かぶ。思い浮かんだイツミくんは、いつも通り眉間に皺を寄せ怖い顔をしていた。
「それもいいなぁ」
「だっろー? ベタ惚れならそれらしく、しつこく電話かけたりメールしたりしろよ。それしかないだろーマジ」
俺は少しまとまらない頭で考え、顔を上げる。
山井は俺で遊んでいるつもりのようだが、俺は色々すっきりした気がした。
視線をずらすといつの間にか顔を上げていた店長と目が合い、力強く頷かれる。
「じゃあ、帰る」
俺は二人に背を向けた。
「おう、帰れ帰れ。よし、山井くん、忙しいぞ、今日は」
「そんなことないスよ。いつもと同じス問題なく」
山井は軽い上に正直である。俺を見送り景気づけようとする店長の言葉を空振りにさせた。
俺は声を出さず笑って、コンビニから出る。
コンビニから出たあと、俺はまっすぐ家に帰らず、まっすぐイツミくんの住んでいるだろうマンションへと向かう。電話をするのも、メールをするのもいいと思うが、やはり、直接会って、誤解を解きたかった。
歩きながら、沈む気持ちを持ち上げるため、楽しいことを考える。
誤解を解いたら、イツミくんにチョコレートとシュークリームを買ってみよう。いつも、悩んで悩んで一つ買うイツミくんが、悩む必要がないくらい買っていこう。イツミくんはどんな顔をするだろうと考えただけでも、本当に楽しかった。
なんだ俺、恋しちゃってるし、本当にベタ惚れじゃないかと思ってしまう。同時に、もしかして直接会うとか恋している俺に酔っているんじゃないだろうかとも思ってしまった。
くだらないことに頭が回る。だが、じわじわと上がってきているだろう熱のなせる技なのか、恋の仕業なのかは解らなかった。
「この前の変態じゃねェのォ」
イツミくんのマンションに着く前に、俺はデートした時に邪魔をしてくれた不良に絡まれた。
こんな時に限って、運が悪い。
「コンバンハァ」
喉元を過ぎたら、気持ち悪かったことも忘れてしまえるのだろう。今の俺には羨ましい話だ。俺も、イツミくんに誤解されたことなど忘れてしまいたい。
ベタ惚れであると思い、前向きに考えていたが、歩みを止めると思考が止まり、今度は後ろ向きなことを考え始めた。
イツミくんは好きだと言ってくれたが、いったい俺の何処が好きだというのだろう。
目の前の不良のような派手さはないし、店長のような男らしさもない。山井のような前向きさと身と言動の軽さもなければ、イツミくんの友人のように気兼ねない親しさがあるわけでもない。
深夜とはいえ、人が来るかもしれない場所で、同性に告白されるには、魅力が足りなかった。
「……なァ、あんた、顔色わるくねェか?」
先日気持ち悪い思いをしただろうに、なんといい奴なのだろう。それとも本当に、忘れてしまっているのだろうか。先日の不良は、俺の顔覗き込んで、俺の心配をしてくれた。
「おいおい、マジ、顔色わりィぜ、変態さんよォ」
家に帰れるか、タクシーでも呼ぶかと心配してくれる不良に、いや、大丈夫だからの一言が出ない。
口を開くのも億劫だったのだ。
もし、返事ができていたとしても、山井にも心配されるくらいの顔色なのだから、今更、誤魔化しようがない。
俺の体調は悪くなる一方だった。寒いし、熱いし、関節痛も痛い。立っているより座りたいし、できたら横になりたい。
そんな最悪の体調だったから、親切に声をかけてくれている不良の声もだんだん遠くなり、不良の肩越しに幻覚まで見え始めた。
「は? 何? なんつった?」
幻覚は俺に気がつくと、一緒にいた人間を置いて、走り出す。俺は、その幻覚の名前を呼んで、おそらく、微笑んだ。
それが、その幻覚にどういう風に見えたかは、よく解らない。
ただ、気がつけば目の前にいたはずの不良がおらず、走っていたイツミくんも、いなかった。残されていた誰かが何処か走っていった。
その走って行った先を見つけ、俺は、口をパクパクと動かした。
その人、心配してくれたのにと、声に出せていたのならいいと思う。
俺はふらふらと、なんとかしゃがみ込む。
視界が急激に暗くなり、イツミくんたちの姿も見えなくなった。