そうまでしてイツミくんに会いに来た俺は、少し熱いくらいの布団の中で目が覚めた。
先程まで外に居たはずなのに、今は布団の中だ。これは明らかに何かおかしい。
俺は恐る恐る布団の中から顔を出した。俺の視界に見慣れない風景が広がる。
白い壁は俺の住んでいるマンションとちがって脂の黄ばみがなく、まだ築浅なのだと思われるほど綺麗だ。床はフローリングでローテーブルの上にはノートパソコンと細々とした何か、下にはラグマット。少々、変わっているのはそれほど広くないだろうスペースにソファがあり、それがゼブラ柄であるということだ。
これが、俺の部屋なわけがない。
俺の住むマンションはワンルーム、かろうじてフローリング、脂で汚れ薄黄色い、おしゃれな言い方をすると生成りの壁。画鋲の穴は探さなくても見つかり、俺もそれに遠慮せす雑誌の付録である壁掛けカレンダーを刺していた。
オシャレとは無縁で、機能性と価格を重視して揃えた家具を自分の使いやすいようにだけ揃え、味気ないにも程がある、それが俺の部屋だ。
間違ってもこんなオシャレな部屋ではない。
「モデルルームか……」
あのあと熱のせいでおかしくなった俺はいきなり真夜中不法侵入でもして、モデルルームに飛び込み、布団の中に潜ってしまったりしてしまったのだろうか。
思わず隠れるように布団の中にはいって呟く。
「それはかなり迷惑」
「何が?」
ずいぶん懐かしいように思える声が聞こえた。走ってこちらに来てくれていたのも幻覚ならば、これもまた幻聴かもしれない。そう、モデルルームにいるのなら確実に幻聴だ。
しかし、モデルルームに居る可能性はあまりないだろう。
モデルルームに不法侵入していたのなら、俺は今頃モデルルームどころか警察署か、病院に居るはずだ。警察署に養護室があるのなら、そこかもしれない。だが、警察のお世話になっているのは今のところ、免許の更新くらいなので解らなかった。
「勝手に人の家潜り込んでても……迷惑か」
「勝手にじゃねぇから。つうか、勝手に来れるような状態でもなかったじゃねぇか」
未だ熱がある俺は、くだらないことを考えても、現状を把握する能力には欠けていた。
そしてしっかり俺のひとりごとに答えてくれた声は、俺の間違えでなければイツミくんの声である。
そっと、布団から顔を出して確認すると、呆れているけが、最後に見た時より幾分か険しさが薄れた顔をしたイツミくんがいた。
「イツミくんだ」
これが夢じゃなければ現実である。
夢か、そうでないかを確認するために俺は手を伸ばした。
俺の手を避けようとしないイツミくんに、俺の手は届かない。もうちょっと近くに行きたいと身体を起こした。
身体は重いが、外で気が遠くなったときほどではない。
手がイツミくんの頬に届くと、俺はその頬を引っ張った。
「なひ?」
引っ張られても痛いと言ってくれないから、夢かどうか確認できない。俺は素直に、頬を引っ張った理由をイツミくんに話した。
「夢かと思って」
「自分の引っ張れほ……」
イツミくんが俺の代わりに、俺の頬を引っ張る。
イツミくんは容赦しなかった。俺の頬がしっかりと痛む。
「いはい」
「はろ?……手」
離せと言われる前に、頬を摘む指を離し、手はそのまま頬に残した。
痛いと言われなかった頬は、少し赤くなっていて、俺はそれを撫でる。
その頃には、イツミくんも俺の頬から手を離していた。
「痛かった?」
「それほどでもない。けど、あんたは、痛かったんだろ」
「痛かった。そうか。痛みってあるのか、夢」
痛みを感じても夢だと思っている俺に、イツミくんがお決まりのように眉間に深い谷間を作った。
「知らねぇけど、夢じゃねぇよ」
その表情すら懐かしく、嬉しく思えて、俺は、これが夢でも現実でも、どちらでもいいと思い始めた。少なくともまだ、イツミくんには嫌われていない気がしたし、夢なら夢でいい夢だと思えたからだ。
「イツミくん、俺、たぶん、イツミくんのこと好きなんだけど」
誤解をとこうと思っていたが、出てきた言葉は告白のための言葉だった。
誤解を後回しに、俺はイツミくんの目に目を合わせる。
俺を見つめるイツミ
くんの切れ長の目は、見開かれたあと、瞬きを繰り返した。眉間の皺も驚きすぎて消えている。そのせいで、普段より少し幼く見えることが面白く、俺は頬を緩めた。
「困った。たぶん、すごく好きなんだけど」
付き合っておいていうことではない。
しかし、好きだから付き合うという流れでは無かったから、大事だと思った。面白半分だった。可愛いなとは思っていたけれど、興味本位だった。
付き合ってみたら、楽しくて、焦って、風邪まで引いて、夢の中で迷惑をかけている。
「好きだ」
ようやく俺も照れくさくなって、布団に再び隠れてしまおうと手を頬から離す。そうすると、イツミくんが俺の手を布団に潜り込む前に止めた。手が止まってしまったため、布団に潜り込もうと動かしていた身体も止まる。
イツミくんが俺の手を握る力は強すぎて、痛かった。
「あんた、ずりぃよ」
少しも弱くならない力が嬉しい気もするが、本当に痛い。夢から覚めるくらい痛い。これは現実なのではないだろうかと思えきた。
「気持ちわりぃとか思われると思って、もう二度と会わないしコンビニ行けないの覚悟で告白すりゃ、付き合おうとかいうし」
また険しくなっていく眉間と、力が少しずつ入っていく手に、夢じゃないと思った。
「俺の気持ち、嬉しいとかいうし」
眉間には皺が寄っているが、イツミくんの顔にいつもの強さはない。
「メールしても電話しても、何やったって、なんか、何って言ったらいいかわかんねぇし結局どうすりゃいいのかわかんなくてそっけなくなっちまうのに、あんた、いっつも余裕だし、俺がどうしたいとかきいてくるし。ココアだとかチョコレートだとか、焼肉弁当にしたって、なんで覚えてんだよ。恥ずかしいのに、ちょっと嬉しいとかどんな乙女だよ俺は」
好きだから覚えてるというより、よく来るお客さんだから、同じようなものを買っていくから、しかも甘いものを毎回買いそうにない人が買っていくから覚えていただけだ。