「とりあえず、メールする」
俺が頷くと、イツミくんは袋を乱暴手に取りに去って行った。その姿を眺め、俺は手を振る。
今日も会釈だろうと思っていると、横目で俺を見たイツミくんは軽く手を振り返してくれた。振ったというより、手を挙げたに近かった。
いいものを見てしまった。
俺は、何故かほわほわと何処か浮いた気分で商品陳列を始める。
深夜番の相方で、俺をレポートに付き合わせた友人が交代にくるまで気分は極楽、天にも昇った心持ちだった。
相方が来た途端に、気分がちょっと落ちたのが本当に残念だ。
そうして、俺が真面目とは言いがたいが仕事を時間までこなし、おでんの大根と卵を買った明け方。
バイトが終わり帰路につく前に、交替する朝番の木村に挨拶をしようとすると、木村さんの様子が少しおかしいことに気がついた。
「篠原くん、どうしよう」
「どうしたんですか、木村さん」
俺がカウンターの隅におでんの入った袋を置いて聞く姿勢を作ると、木村さんは不安げに話し始めた。
木村さんが言うには不良が、今にも暴れそうな雰囲気で駐車場の一角に座り込んでいるらしい。
「俺が追い払いましょうか」
「え、大丈夫?篠原くん、そういうの得意そうに見えないんだけど……」
木村さんはとても控えめに言ってくれた。
どう見ても文化系で、いかにも不良のダメそうな眼鏡。チャームポイントは口元のエロ黒子ですといった真面目そうな大学院生が、不良に立ち向かえるとは思えない。
俺ならば、俺のような院生をみたら、無理だろと率直に言ってしまう。
だが、俺には頑張って毎日気張っている不良な弟がいた。そのため、不良には耐性があるし、チョコ……イツミくんも、不良だと思うから意外と平気だ。
「大丈夫ですよ。これでも、オトコノコですよ?」
手を大げさに振って笑って見せると、木村さんは何かあったら叫んで知らせてと言ってくれた。
俺は心強い木村さんの言葉を背に問題の不良が座り込んでいる場所を探す。
その不良は入り口より少し離れた二輪車置き場にいた。
不良であるのにヤンキー座りはしないで、真剣に携帯電話の画面を見つめている明るい色の茶髪の青年。
よく見ずとも知り合いの不良であった。
夜にもコンビニに来ていた、そう、イツミくんだ。
イツミくんが朝方にコンビニに戻ってくるとは、思ってもみなかった。
いつもは近所に住んでいるからか軽装なのだが、今はマフラーまでしており、少し着膨れしているように見えるのも珍しかった。
肌といえば顔と手くらいしか見えていないせいか、携帯を持つ手が遠くから見ても寒そうである。
俺はコンビニにすぐ戻った。そして木村さんに大丈夫ですよと告げた後、温かい飲み物を買う。
真剣に携帯を弄っていて俺に気がつかないイツミくんに、どう声をかけようかと悩んでいたら、俺の携帯が腰の辺りで震える。
ジーンズのポケットが浅いため、腰骨に当たって痛いと思いながら、俺は震える携帯を取り出した。
携帯の振動音が聞こえたようである。イツミくんは素早く俺の方を向いた。
「耳、いいね」
携帯を操作しながら言った俺は、しっかりとイツミくんからきたメールを読んだ。そうだね、イツミくんまってたねと、そのメールに頷く。
恥かしいのかびっくりしたのか、どうしていいか解っていないらしいイツミくんが、携帯を握りしめていた。明らかにしてはいけない音が聞こえてきたので、それを止めるためにも購入したばかりの温かい飲み物を手渡す。
茶色の缶はクリーミーさを全面押し出しした生クリーム使用のホットなドリンクだった。
「……ココア」
「嫌いなら俺が飲むけど?」
「いや、そうじゃねぇけど……本人の前でメール読むな」
「誰のメールかわからなかったから仕方ない。で、何?」
待ってたんだから用があるのだろうと思いたずねたのだが、少し切り出しが冷たくなってしまった。
缶を開けずに暫くその温かさを堪能する気なのか、右に左に缶を持ち替え、イツミくんが答えてくれた。
「メール……なんかわかんねぇから、もういいと思って」
随分省略された答えだった。俺が首を傾げる前にイツミくんは続ける。
「とりあえず、お疲れさん」
「あ、うん。ありがとう」
「あと、あんたの名前…篠原、なにっつうんだ?」
店員の名札だけではフルネームは解らない。
「篠原弘人」
俺はすんなりと名前を教えた。
イツミくんは再び携帯を弄り始める。登録しようとしているのかと思い、俺は要らぬ情報を与えた。
「弓にカタカナのムで弘。で、人間の人ね」
弘人と一発変換で携帯でも出るはずだ。
イツミくんは頷いてくれたので要らぬ情報ではなかったようである。
「それと、付き合うの、オーケーな」
携帯を弄り、ついでとばかりに、イツミくんは俺に平然と言った。今日の弁当を買いに来た時と比べたら随分と進歩してしまっている。
突然、片手間に用件を述べるという高度な技をくりだしてきたイツミくんに、少しついていけないし、なんだか寂しい気がした。
寂しいのならば、構って貰えばいい。俺は一つの提案をした。
「うん。じゃあ、今度デートしよう」
「…わかった。後でいい日教えてくれ。あわせる」
俺の名前は登録し終わったけれど、携帯に夢中なイツミくんが顔を上げたのは、その言葉を言い終わったあとだ。
「これ、サンキュ」
ココアの缶は空いていないが、そろそろぬるくなっていないだろうか。冬の寒さは容赦がない。
もう既に俺に慣れてしまったイツミくんに、帰る旨を伝えると、俺は駐車場に置いてある不似合いとよく言われる大型バイクに跨った。ヘルメットを被る前にイツミ
くんを見つめる。
「じゃあ、お休み」
「今から寝るのかよ」
「夜は働いてたから」
「まぁ、そうか……おやすみ」
ヘルメットを被り、バイクのエンジンをかけてゆっくりと発進させる。バックミラーで確認したイツミ
くんは、拳を握って小さくガッツポーズをしていた。
照れないようにするために、携帯をいじっていたのかもしれない。
運転に集中できそうにない。
家までのたった十二分の間、する必要もない真剣な顔するのにも苦労した。
そう思えばおでんはどうしたのだろうと気がつくのは、家に着いてからだった。眠気でぼんやりしていたのだろうと思うことにした。
断じて、イツミくんが居たせいではない。