大変遺憾ながら


まず気配がない。
殺気すらしない。
気がついたら周りが離脱しており、恐怖で速くなっているだろう走るスピードを超えて、やってくる恐怖。
…昨年の足の引っ張り合いに出た銃選択のクラスメイトにきいた話だ。
昨年の足の引っ張り合いを見学していた俺の感想は、このクラスメイトと少し違う。
昨年の一織ならまだ俺も気配が読めた。僅かな気配がまるで走者を弄ぶように一人一人余裕を持って潰していく様は鳥肌が立って仕方ない光景だった。
しかも、後ろから追いかけられる立場ではなく、会場が見渡せる位置で見ていた俺にはまさに獲物をいたぶる猫のようにしか見えなかった。暗殺者はえらく性格が悪いと思ったことを覚えている。
急に他の気配が消えていった走者もさぞ怖かったであろうが、俺もかなり怖かった。
だいたい、最速なんて言われている人間が一番最後にスタートして後ろから追いかけなくても、ゴールテープを一番最初に切っていそうなものだ。
わざわざ後ろから追いかけて止めをさすのは、その恐怖心を植え付けたいのか、実力を見せつけたいのか、用心深いのか。
なんにせよ、見ているこちらは気分のいいものではなかった。
それに参加するというのだから、俺も狂気の沙汰としか思えない。
一織と同じ組で走るとは限らないのだが、そうでなくとも、このレースは俺の得意とするところではない。
先手をとるにしても、とらないにしても、俺の得意とするのはどちらかというと障害物競争のようなもので『罠を仕掛ける』『裏をかく』『意表をつく』という行為だ。
ゴールテープをきるために、なんの障害物もない場所で走りながら戦うなんて疲れそうで面倒そうなことは出来るだけしたくない。
俺向きではないと知りながら俺を誘った一織は、こう言っていた。
『おまえが、何できるか知りてぇだけ』
色んな危機的状況に立たせて俺のできることを知りたいらしい。
本人曰く、好きな人を知りたいという男心らしいのだが、恐らく、俺を完膚なきまでに倒すために俺の実力を把握しておきたいのだろう。
毎回ギリギリで余裕のない戦いを繰り広げているというのに、あらゆる状況下での勝率を高めるために俺を研究してくれているようだ。愛されすぎていて辛いというには、本当に辛い。
そんなこんなで参加することになった足の引っ張り合いなのだが、実力を分けた上でランダムに組み分けされた俺の組には暗殺者の姿は無かった。
足の引っ張り合いは学年別で行われる。
そのため三年生とあたることもなく、特筆すべき恐怖に絡め取られるここもない…と思って安堵の息をついたのも束の間。
何故か魔法使い達がちらほら見える。
『みなさんこーんにーちはー!総合解説者の協奏です』
毎年、何かルールがえなどがあった場合活躍するのが総合解説者だ。総合などといっているが、他に解説者はいないため、実質、今年は協奏がすべてルールを説明することになっている。
『今年はみなさんの大好きなトラック走のルールが変わりました…というよりも、参加規定が変わりました。今年の体育祭は魔法使いが控えめということで、トラック走に参加できるようになりました』
余計なことをしやがって。というのがこちらの感想だ。
トラック走というのは、会場に描かれた円をトラックと呼び、そのトラックの周りを走ることから付けられた競技名で、生徒たちはそれを足の引っ張り合いという。
つまり、足の引っ張り合いの正式名称はトラック走だ。
例年ならば、魔法使い連中は、あんな脳筋どもと一緒に走れるわけがないとレースに参加できなくなっているのだが、今年は一味違うようだ。
『魔法使いは体育会系な人たちとは基礎体力からしてちがいますので、最初からスピードアップの補助魔法を使っております。なお、スピードアップの魔法は各自違った魔法ですのでどれほどスピードアップしているかはわかりません』
それは、空を飛べる魔法かもしれないし、移動するための魔法かもしれない。肉体強化魔法かもしれない。
後の競技のことを考えると消費の少ない魔法を使ったほうが得策なのだが、魔法使いにはプライドが高い見栄っ張りが多い。自らの力の量に驕っている人間もいるため、加減というものを知らない人間も多い。
脳筋と武器を持つ者を馬鹿にするけれど、こういったことでも負けるのは彼らにとって腹立たしいことなのだ。
しかし、俺にとってそんなことは今、どうでもいい。
今問題なのは、隣にいる人物だ。
「……何故、お前が参加しているんだ?」
「魔法使いが足りないと言われて」
「いや、お前、武器系だろうが」
「魔法科にも所属している扱いになってんのは知ってるだろう?」
「クソ」
よく見慣れた仮面をかぶった男がそこにいた。
相方の猟奇だ。
「ところで、相棒。あの騒いでるのは…」
「たぶんそうだろうな…」
違う組なのだが、今度こそ勝ってやらァと言って騒いでいる男がいた。
魔法使いなのだが、この学園の変装システムにより魔法使いに見えない容貌となっている男だ。道端で歩いていると余計な因縁をつけてきそうな、頭の良さそうに見えない…ヤンキーかチンピラのような姿だった。
気配を読んでみたのだが、隠すということを知らないところは将牙並といえるだろう。
彼は、良平に勝負を挑みたい魔術師だった。
「あの変装かわいそうだな、人のこと言えないが」
「そうだな。かわいそうだな。魔術師には見えないし、頭悪そうだわ」
俺は哀れな魔術師の周りを見る。迷惑そうにしている連中が多い中、誰かの忠犬と後ろからやってくる恐怖がそこにはいらっしゃった。
「……あの魔術師不運だな」
「流石の俺も憐れになってきた」
忠犬は猟奇を見つけて、魔術師の存在を無視しているし、後ろからやってくる恐怖は自らの組にいる連中を見て何かを思案している。
忠犬が面白そうだが、この忠犬は果たして主人に何か言われない状況で何かするだろうかとか考えているに違いない。
「あ、駄犬と恐怖神」
神様になられましたか…いや、もとから神様だったか。
ついに恐怖神にまでなられて…いや、この名称が一番似合うかもしれない。
「駄犬。ご主人様に恥かかすなよ?」
通常音量の猟奇の声は、果たして猟奇の言うところの駄犬に聞こえたかどうか。
あのワンコは主人に関することと主人の声だけはどんなに小さくてもよくひろう。普段なら唇も読んだだろうが、今は面をかぶっているため、読めない。だが、雰囲気で察するものもあるだろう。
ワンコがワンと鳴くように頷いた。
「これで恐怖神様と駄犬の楽しい地獄のレースが見られるな」
俺は思わず巻き込まれてしまうだろう、何も知らないだろう魔術師に手を合わせた。
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