「結局、帰るのか?」
いつもとは違う髪形と目の色をした一織が声をかけてきたとき、俺は借りた鬘と眼鏡を装着し、宣伝のためのチラシが詰まった袋を肩からかけていた。
「そやね。久々の里帰り」
「……夏に帰っただろう」
俺が団長のいる天幕から別の場所に移動したときには一織の傍にいた会長が、もういない。
宿にでも帰ったのかもしれない。
「家には帰っとらんし。身体検査もしとらんし」
「……そうか」
頷きはするものの、何かいいたそうであるし、納得していないのもよく解る。
俺と同じようにチラシが入った袋を手に取った一織は、一度口を開き、閉じた。
そして、バツ悪そうに、また開いた。
「お前はそれでいいのか」
「ええよ。半分以上お仕事みたいなもんやし。なんや言うて通したいほどのもんもないし」
「仕事……」
俺は親指と人差し指を引っ付け円を作って笑う。
「貰えるもんは貰てるし、そんな嫌なことされてるわけちゃうで。観察日記みたいなもんつけられとるなぁくらいのもんや。それに、身体検査に至っちゃ、新しい発見と早期発見のためでもあるし」
今ではすっかり元気であるが、昔はちょっとした病気が流行ってはかかり、ベッドで過ごしていた。人より少し身体が弱かった。身体検査のおかげで大事にならないということも少なくなかったのだ。
今は、早期発見よりも新発見のほうが多い。
「言うとくけど、新しい発見いうても、検査しとるほうからしたら、ふーんの領域やで」
「なんだその領域は」
「身長伸びたとか、筋力量増えたとか減ったとか。異常なほどの増減記録せえへん限り、あっちは興味ない話。俺からしたら、このあたりをキープしたら調子ええねんなとか、出来ることの幅が増えるとかそういう発見があんねん、身体検査」
一織もその新発見については納得したらしい。
今度は何かいいたそうな顔をしなかった。
「まぁ、そんなわけやし、あまり重たくとらえても損やで」
チラシを片手にヘラヘラと愛想を振りまきながら、技芸団関係者以外の人間を見つけては配り歩く。天幕から人が一番集まる場所まで、ついでとばかりに手を動かした。
「……、キョースケのことを考えると、いつも馬鹿らしいなの一言になる」
「え、ちょっとひどいこと言われとる?」
俺と違って、目的地まで仕事をする気はないと言わんばかりの一織は、ムスッとした無愛想な顔でチラシを手に取りもしない。
無愛想な顔をしているのは俺のせいかもしれないが、もう少し、意識して表情筋を使ってくれてもいいものだ。だからといって、副会長時の爽やか過ぎる笑顔を振りまかれるのも辛い。寒気がするので止めてもらいたくなるからだ。
「キョースケのことは考えるだけ無駄だ」
「いや、なんやほんま、ひどいこと言われとる?あと、この前から、がんばっとるみたいやけど、ええねんで、いいにくかったらキョーで」
無愛想を通り越し、不機嫌な顔になった一織は、俺をちらりと見た後、ため息をついた。
「絶対、普通に呼び捨てる」
一織のスイッチを押してしまったらしい。舌打ちどころか歯軋りまでしそうな雰囲気に、俺は顔を前方に固定し、できるだけ横を見ないようにした。
「そんなわけやし、交通機関もお休みする前か、お休みした後に帰らなあかんのや」
「明日か、明々後日か」
俺は頷いて、手にチラシを数枚持つと、もう片方の手でそれを配る。途中で、人を見かけては是非見に来てくださいねと愛想を振りまき、チラシを断られても笑顔で宣伝に努めた。
「もうちょっと仕事させてもらいたいんやけど、帰って来い言われて二日延びるんはあかんやろし、明日あたりやなぁ」
俺のチラシを配っているときと一織としゃべっているときの態度の違いを見てか、一織がいる方向から息をはく音が聞こえた。
その後、一織は俺を追い抜き、ちらりとこちらを見る。
「多く配ったほう、もしくは速く配り終えたほうの言うことをきくってのはどうだ?」
「ええけど、なんや急に」
「俺が勝ったら、キョースケの時間を少し貰いたい」
なんだか口説かれているような気がするし、もしかしなくても口説かれているのだが、顔がいいやつが言うといやに様になるから悔しい。
「いややわ、イケメンやらしわ。惚れてまうわ」
「本気で言ってんなら惚れてくれて構わない。むしろ惚れろ」
「本気やったら、もっとええこと言うとるわ。ほな、俺が勝ったら、飯でも奢ってもらおか」
舌打ちが聞こえたが、いつものことだ。俺はチラシをカバンから出しながら、足を速めた。
負けても嫌なことが起こるとは思えないのだが、勝つといいことがある。
「飯くらいでいいのか」
俺の前を少しの間、歩いていた一織は余裕のようで、歩く早さは変わらなかった。それとも、俺と同じように負けてもいいのかもしれない。
俺に追い抜かれても興味なさそうな表情でチラシを取り出していた。
「ええよ。その代わり、ええ飯奢ってもらうわ」
「了解した」
そして、チラシ配りの戦いは始まった。