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「よう、クソ野郎」
反則、卑怯、変態……それらのことばを俺の代名詞だとばかりに呼ばれてきた。
しかし、これほどしっくりくると思う呼ばれ方はない。
「……恋人にクソ野郎って呼ばれる気持ちとか考えたことないんかなぁ……」
だが、いくらしっくりきても言われると気分が良くないのはしかたない。
覚えていろと吐き捨て、十織は俺を一度睨み付けた。そして去って行く十織を見送った後、俺はしばらくして校舎内に戻ったのだ。
薄青同盟の呼び出しは放課後で、十織にも会ったためすっかり陽は暮れている。
それでも校舎に残っている生徒はいるらしく、ぽつりぽつりと空き教室に光を見つけることができた。
一織も生徒会の用事で放課後まで残っていたらしい。昼間でさえ人通りが少ない場所を歩いていた俺に、背後から声をかけてきた。
「十織がちょっと休憩するといるといって出ていったと思ったら、激怒して、あんなクソ野郎のどこがいいんだと憤慨されたんだが」
相変わらず気配が感じられない一織に振り返り、俺は苦笑しつつ足を止める。
「煽ってみたんやけど、効果はてきめんやなぁ」
一織はこちらを見たまま、少し首を傾げた。
「それはうまくいったということではないのか?」
一織のいう通り、うまくいったのだ。けれど、一織は少し言いにくそうに俺に尋ねる。
「どうして、そう……浮かない顔をしている?」
校舎にいるためか、副会長らしい爽やかさと一織らしさの混ざった口調の疑問は、少しもどかしそうにも聞こえた。
俺は正面に向き直り、廊下の先を見る。長い廊下の途中にいくつか光がもれる場所が確認できた。
「これから先が面倒やなぁと思って」
一織のいう浮かない顔というのは、おそらく、十織と会ったことが原因だ。
十織と話していたのに、一織のことばかり考えていた。少し前までは十織のことを考えていた気もするのに、ずいぶんと一織が好きになったものである。しかも正しくは、一織に対する自分自身について考えていたのだ。情けないとしか言いようのない自分勝手さに浮かない気分にもなる。
「面倒というわりに、こんな人気のないところを歩いて何を仕掛けているんだ?」
俺の言った面倒というのは、一織や十織への対処と三年生の卒業試験のことだ。一織はどうやらこの面倒を卒業試験のことだととらえたようである。ここ数日俺がごそごそと魔法石を隠したり、人通りの少ない道をゆっくり歩いているの知っているからだろう。
「最近は普通に廊下歩いても騒がれるんやし、人目を避けたいやろ。けど、襲われてまうかもしれんし。自衛として、ちょっと」
「ちょっと……?」
一織が疑問に思うのも仕方ない。俺とて俺が隠した魔法石が少しの量だとは思わない。廊下だけならまだしも、今日呼び出された裏庭にも石をいくつか隠してきた。
「うん、ことばのあやいうやつやな」
「ことばの」
「そや、ことばの」
後ろで疑わし気な目で俺を見ているだろう一織には振り返らず、俺は再び歩き出す。
「ほんで、副会長様はなんや。これから帰寮ですやろか」
「そうだな。せっかくだからからかいついでに恋人と一緒に帰ろうかと思ってな。こんな時間まで怪しげな気配でうろうろしている恋人とな」
やけに恋人ということばに力が入るのは、一応恋人だという事実を知らしめているのか、俺に何か文句があるに違いない。
「なんやぁ、弟君にお兄ちゃんとは好きあってお付き合いしてますっていうたったのあかんかった?」
「ハァ?」
一織と十織は自らの理解を跳び越す事態が起こると返す反応がよく似ている。
けれど今、一織は裏庭に来た十織と違い、険しい顔や難しい顔はしてないだろう。俺が一織にとって不愉快なことばを言ってはいないのだから。
「なん……いや、幻聴?」
「おひぃさんとは好きおうてお付き合い」
「……何か、都合が良すぎることばが聞こえる……」
一織が面白いことをいいだしたので、俺はちらりと一織を確認した。
俺は一織を見て、すぐに噴出す。一織は足をとめ頬までつねって首を傾げていた。
「いや、わかっている。そういうのが一番だ。わかっているが……もう一回言ってもらっても?」
「そんな、確認せんでもいくらでも言えるで」
それが嘘をつくために用意されたことばなら、俺は何度でも言える。いったところで、一織が少し喜んだあと後ろ向きに考える材料にしかならない。
「今のうちにいい思いをしても、いいだろう?」
「後でしょんぼりしても、慰めたらんで」
きっと一織は少しの間喜んだら、現状を思いあれは嘘でしかないとネガティブになるに決まっているのだ。それでも同じことばを要求するのは、少しの間でもそれがほしいからなのだろうか。
「それでも」
「……好きおうてお付き合いしとるで」
俺はゆっくり歩き続ける。
校舎内を確認するのに、この薄暗がりはあまり適していない。明るいか暗いかでは見え方が違う。
それでもゆっくり歩くのは、俺も少しだけ楽しんでいるからかもしれない。