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夕飯の時間は和やかといいがたい雰囲気で終了した。俺たちの気まずさもそうだが、食堂全体があまりいい雰囲気ではなかったからだ。原因はもちろん俺と一織にある。
喧嘩をしたわけではないし、俺と一織の微妙な関係にあてられたわけでもない。ただ、俺と一織という組み合わせが多くの生徒にとって面白くないばかりに食堂の雰囲気は悪くなってしまった。食事を楽しみに来た生徒には申し訳ないことをしたものだ。
「お前ら寄ると触るとな爆弾か」
予測はできたことである。できなければ煽りとして使っていない。しかし、一織がああいった行動に出るとは思わなかった。
「同じこというようやけど煽ったの先輩ですし」
その煽りにのったのは俺たちである。責任が先輩にだけあるとはいえない。
「ああなるとは思わなかったというか、おまえらが少々ちゅーしたぐらいであれはない。知り合いでもない、迷惑かけられたでもない他人にそこまで興味あるとは思わなかった」
九我里先輩は焦点という変装後の名前が示すとおり、一点集中型の人である。周りを顧みないということではなく、興味のあることに集中するタイプであるため、興味のないことはどうだっていいのだ。
俺はわざと苦笑して立ち上がる。俺たちが食堂に居座ると、雰囲気が良くないままになってしまうためだ。そうでなくても、一織と気まずいままのんびりはできない。
「少々、ちゅー……」
キスをする前から本調子ではない一織は皿を返却にいく俺のあとに、ふらふらとついてくる。
「ああ、少々違うか。わりと長かった。反則のえっちー」
先輩も食堂から出るのか、俺たちの後ろについてきた。それとも、協奏あたりが俺が襲われることを想定しており、それに便乗して暴れるつもりなのだろうか。
それならば、暴れる役は選択ミスだといっていい。焦点という先輩は、しつこく敵を狙うことはあっても『暴れる』には程遠い静かな攻撃を好む。協奏がそれを知らないわけがない。
では、もし、先輩のこの行動に協奏の思惑があるとするならば、もっとわかりにくい便乗だ。
「えっちーって、まぁ……若いですさかい、それなりに……」
便乗されるのは問題ない。俺は先輩の行動を若干気にしながら頷いた。
そう、否定はしない。今は一織をからかう方が楽しいが、えっちなことをしなければならないのならする。楽しみさえするだろう。割り切ることができるのなら、一夜くらいともにできる。
「それなり……」
先輩ではなく一織がそう繰り返すので、そんな日はきっと来ないだろうと予測できた。一織は確実に割り切れない。
そんな一織は、精神状態もあまりよくないようだ。キスで衝撃を受けた後に、さらに十織のことで勘違いしたのだろう。いつもは消えている気配がうっすらと感じられる。
「なんや、もう一回する?」
後ろをちらりと見ると、一織はぼんやりとした様子だった。まるで理解できないことばを聞いたように繰り返す。
「もう一回?」
「ちゅーやったら、まぁ、あと、二、三回」
「二、三回……?」
祝祭にデートをしたときは雰囲気が良くないといってキスしなかったくせに、軽いものだ。しかし、今の一織にはそんなことを思い出す余裕はないだろう。
「……できるなら部屋で、二人きりで」
本音だろうか。ぼんやりとしている一織は、それが俺のからかいだとも思わなかったらしい。嫌がる気配もなかった。
「そういうところは、おひぃさんも若いねぇ……身の危険を感じるわぁ」
混みあった食堂らしい狭い通路に現れた足をいくつか飛び越えながら、俺は返却口へとのんびり歩く。いくら騒ぎを大きくしたいといっても、わざと足に引っかかるようなことはしない。それをするくらいなら、わざと踏んでやった方がましである。
しかし、俺からやったという証を残すつもりもないので、俺はひょいひょいっとそれらを飛び越えた。足を上げるやつもいて、非常に飛び越えにくい。俺を転ばしてやろうという気持ちがよく表れている。
そうこうしていると、今度はスプーンが飛んできた。フォークやナイフでないだけましだが、スプーンも投げるものではない。
さすがにそこまでくると、急に一織の気配が消えた。足くらいならいいとは言わないが、俺たちにとって大したことではない。けれど、食事をする場でスプーンが飛んでくるのは、当たらなくてもマナー違反だ。一織はあまりいい顔をしない。
俺はトレイを片手に持ち、そのスプーンも難なく右手でキャッチした。俺が避けてしまうと二次被害がありそうだからである。
その次は、皿だ。一番先頭をいく俺は、その皿をまた右手でキャッチし、トレイに置く。
「静かーに怒ってる感じやなぁ」
先ほどからスプーンや皿を投げてくる生徒は、一人だ。あまり気配や殺気、敵意を隠すつもりはないらしい。投げられる前からわかりやすかった。
「……静かにするなら、こんなところで食器類を投げるな」
昔、パフォーマンスとしてフォークやナイフを投げていた人もいた気がするが、あの時とは状況が違う。
「キョースケくらい裏庭にでも呼び出しておけ」
ようやく詰まらず名前がいえたというのに、言っている俺にも厳しい。
「呼び出されなあかんのかい。もうちょっと穏便に済まそう?」
「それなら、手紙にカミソリでも入れておけ」
「それ、不穏やから」
一織はどうしても俺に何かしらの被害があってほしいようだ。