ヒーローは何処だ


圧倒的な強さというのはああいうことをいうのだろうな。
喧嘩をして、勝ちはしたがほうほうの体。
この辺では聞かないイントネーション。あれは西のほうだろうか。
などと考えながら、意識を閉じて、次に目が覚めたとき。
ニコニコ笑う、怪しい男がいた。
男は標準語で話して、呑気に笑う。
違うと思った。表情を隠しもしないで、違う違うと反芻する。
薄く開いた目でみたそいつは、笑った瞬間、唇を孤にして、楽しそうに、このあたりではきくこともない言葉でしゃべった。
口元はいやらしく弧を描くばかりで、こんな明るく笑わなかった。
それが、ただ、みたかった。そして、今、ここにいるそいつが気持ち悪かった。
だから友達になることに頷いた。
だから、今度の約束をした。
早くその場を去るために。
そして保険を得るために。
家に帰るその前に、お世話になった連中の本部を叩いて、帰り道。
あの、いやらし弧を描く口元に出会った。
「いーちィ」
「にぃーイ」
ゆっくり地面に転がしていく人数を数えながら、次々と人間を足蹴にしていくさまは、すさまじかった。
横着して、ポケットから出ない両手が余裕を思わせた。
楽しそうに鼻歌を歌っている。…それは、俺も好きな、アーティストの歌だ。
そして、俺の…半分しか血の繋がらない、兄も好きな、はずのアーティストの歌だった。
俺は兄の顔をしらない。
けれど、一人っ子だったはずの俺に、突如現れた兄の存在はさほどの衝撃を与えなかった。 小さい頃、母にそっくりな俺は、色素だけは父に似ていて、薄かった。
茶色い髪に赤茶色い目。よく、虐められた。
母は、黙って虐められ、泣きもしない息子に、一人の少年の話をした。
三つ年上のその少年は、黙って耐えることしか知らない俺とは違い、いわれのない暴力を受けたら、倍で返し、幼馴染が大変な思いをしていたら、それを助ける。そんな少年は俺にとってヒーローだった。
そのヒーローが、兄であった。驚くのは当然だが、嬉しい思いもあった。それが、俺の兄なのかと。
だが、それが、母から生まれた兄ではないことを知ったとき、俺は思った。
腹違いの弟を。愛人の子供を。
兄はどう思うのだろうと。
話を聞く限り、潔癖な人間ではない。おおらかかといえば、そうでもない。
母は悪い点ははぶいてくれていたけれど、なんとなく察するものはある。おそらく、優しいひとじゃない。
他人同然の弟を、兄はどう思うのだろう。
嫌われているだろうと思えた。
だから、単純に自分自身の境遇をのろって、ぐれた。
…だから、兄との共通項を知り合ったばかりの人間に見つけては、暗い喜びと驚きを覚えた。
そいつは、少なくとも俺を嫌っていない。
もちろん、すきでもないだろうけれど。
嫌われてはいないのだ。
西の言葉とイントネーション。
兄の住むのは関西。
共通項、二つ。
それだけで、人間というのは都合よく同じものを探して、喜ぶことができるのだ。
名前も顔も知らない兄と、謎のほうが多いであろう人物を重ねることができる。
そして、兄もいっしょであるのかそうでないのか解らないが、楽しそうに人間を薙ぎ倒すその姿が、目について離れなかった。
それから俺は悩んだ。
あの男の、喧嘩現場が脳に焼き付いて離れない。
こわかったわけではない。凄惨を極めていたといってもよい光景は、本当にどうでもよく、ただ、あの男が…市橋雄成が笑う姿が。
悩みすぎたし、考えすぎた。
これは恋なのか、そうでないのか。
なんとなく考えていくうちに、なんとなく、思ったのだ。
じゃあ、とりあえず会えばいい。
気がついたら、数週間たっていた。
覚えていた高校の制服を頼りにやってきたその学校の教師から逃げて、静かな喫茶店。
会ってみて思う。
あれだけ走ったのに、息一つみださず、あの晩のことも思い出させない様子で話しかけてくる市橋。
不自然すぎる態度に内心、何度も違うと否定する。
溜息をついた瞬間、ああ、それなら、爆弾でも投げてみればいい。
そう思って、告白をしてみた。
市橋は何一つ悩んだ様子なく、いいといった。
…なんで、付き合うことに、なってしまったんだ。
俺は男だ。
そしてあっちも男だ。
普通は成立しないはずだ。
そう、はずだった。
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