ひとりこと
ひとではなかったと気がついたのは、おおよそ、百年と昔。
ひとになろうとしたのは、八十年と少し。
ひとでなくてもいいかとおもったのは、五十余年。
今は、ひとのように振舞って生きている。
いくにんか、友人を見送った後、最愛を見つけた。
これいじょうはないと思っているし、これいじょうは、もうないのだろう。
彼には、俺が見えない。触ることも無いだろうし、遭遇することもない。
俺だけが彼を見れて、触って、会うことができる。
一方通行の恋だ。
昔は、俺を見れるひとは多く存在したのだが、昨今は稀。
俺を具現化できるひとは、幾久しく現れていない。
だから、彼の近くで彼を見ることしか俺にはできない。
自らを自らとして姿を現すことは現世に多大な影響を及ぼすとか、彼の近くに居るようで本当は遠い場所にいるが、それを実感できないゆがみがあるだとか。
そういう理由で、いまや友人もない俺は一人だ。
もしも彼の目に映っても、俺は化け物であるに違いない。
俺はひとの形を保てるようにできていない。
かといって、獣のようだということもない。
それでも、自分自身はひとであると思っていたのには理由がある。
なにせ、怖がられても話せて、考えることができて、ひとがたくさんいて、俺のようなものがひとりもいなかったから。
俺は多くいたひとのひとりだとおもっていた。
残念ながら、そのような事実はなかった。
では、ひとになろう。そう思った。
ひとというのは俺とつくりが違えば、寿命も違う。
根本が違うのだから、似たような形に擬態はできても同じにはなれない。
ひとになりたかった。
ひとになりたかった俺に、それでも友人はできた。ひとの友人。
彼らは特別優しかったわけではない。
ただ、彼らは特別寂しかった。
理由を深く追求することは一度としてなかったが、彼らは一度として俺をみることができなかった。
俺に触れることもなかった。
けれど、確かに、言葉は通じたし、友人であった。
たとえば夢のようなもののなかで。
たとえば幻聴のようなもので。
こえ、だけが。
この姿は。
何者にも見られない方が、幸せにことははじまりおわるということを何時だったかにしった。
それを寂しいとは少し思うが、嫌われる一方よりはよほどいいと思う。
そんな俺が恋をした。
最愛をみつけた。
声はとどかないが、見ているだけでもういいのだろうとおもう。
ひとの美醜でいうと美しい部類に入るその顔も、何事も上手く行き過ぎてつまらなさそうにみえるその態度も。見ているだけで満足できる。
見えることは、恐ろしい。
好まれる姿形ではない。嫌われるということは、本当に、恐ろしい。
聞こえるということは、寂しい。
聞こえているうちはいい。聞こえなくなると寂しい。ひとと寿命が違うこともあるが、それ以前に、経年によって聞こえなくなることもあるのだ。
それは、絶望だ。
ならば、もう、いっそうのことなにもないことがいい。
そうして、俺は、近く遠く、彼を見ていた。
急激に、事態というのはかわるものだ。
彼は好かれた。
ひとだけではなく、俺のように、ひとの見えない場所で生きているものに好かれた。
いいものもあれば、あまりひとによくないものもある。
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