かわたれどき

放課後、ほとんどの生徒が帰ってしまった教室で、ひとり、そいつは外を眺めていた。
子供が好きなわけじゃない。子供に何か伝えたいわけでもない。学校という場所にこだわったわけでもなければ、目的もない。なぜ、教師という職業を選んだか、いつになっても解らない。
教師になって良かったなと思うことは、その時はまだなく、まだまだ学生気分でいた臨時採用時の俺は、そいつの背中を教室に見つけて、黄昏てんなぁ…とぼんやり思った。
夕方を少し過ぎたくらいの時間だった。
残っている生徒を校舎から追い出すために見回りをしていた俺は、電気もつけずに外を眺めているそいつに声をかけた。
「生徒はもう、下校してる時間だろうが。さっさと帰れよー」
声をかけると、そいつは驚いたように、振り返る。
すでに、廊下の明かりだけが頼りとなりつつあった場所は、黄昏時と同じくらい薄暗かった。
窓際にいるそいつが誰かなんて、視力の悪い俺にはよく分からず、また、もう帰りたかった俺はメガネすらかけていなかったため、背格好すらよく解らなかった。
ぼんやりとした暗い視界の中、なんとか判別できた学園のブレザーにわずか明るい色が交じる。
「……はい」
返事をした生徒が帰るかどうかを確認することもなく、俺は他の教室を回る。全部の教室を見終わったら、もう一度その教室だけを見て帰ればいいだろう。
そう思って、生徒が居た教室にかけられているプレートを思い出す。
一年Sクラス。
俺が担当していないクラスだった。
「金持ちクラスか」
中高の校舎が隣接する馬鹿でかい男子校には、クラスによって特色があった。
Sクラスは主に、家柄がよく、成績優秀。
Aクラスは主に、Sクラスの成績に届かなかった金持ちか、特待生などの家柄関係なく成績が優秀。
Bクラスは成績は普通だが、一般的な家庭よりも金を持っているといわれる層の家庭。
Cクラスは一芸の推薦や、部活動で成果をだしている。
Dクラスは金を持っている家庭であるが、成績が不良である、素行が不良である、裏社会と言われる家庭である。
そういった生徒が集まるようになっている。
俺が担当しているのは、Dクラスだ。
Dクラスは隔離されており、中学から高校まで、全学年旧校舎に集められており、そのクラスの担当ができる教師もそう多くないため、俺のような臨時で、しかも物怖じしない新人はそのクラスに回されれてしまうのだ。
担当はDクラスでも、この学園の教師であるので、旧校舎だけではなくこうして新校舎の見回りもしなければならない。
俺は、この学園の出身であり、この学園の事情は熟知している。だからこそ、他の先輩になってしまった教師たちも俺を使うのに戸惑いは……少しあったかもしれないが、あまりない。
私立の教師は、あまり異動などしない。だから、顔見知りの教師ばかりで、俺が臨時採用されてすぐくらいは、会うたびしみじみ『あの社(やしろ)がねぇ…』と言われたのも、仕方ないのだろう。
「……なんで、まだ残ってんだよ…」
俺が任された区域を回ってきて、最後に一年Sクラスを確かめると、まだ、そいつは居た。ため息混じりに呟いて、なんとか判別したそいつの背後に回る。
「帰れよって言っただろう?」
近くにいって、漸くわかる。
そいつは、一年Sクラス、堂上成己(どうじょうなるみ)、生徒会長だった。後ろ姿でもわかる存在感は、さすがの生徒会長といったところだろう。
そいつは、俺が近寄ってきたことに気がついたが、今度は振り返ることはなかった。
少し動いた背中を見たが、俺を無視とはいい根性だなと、俺は堂上の肩をたたく。
「堂上」
こちらをむこうとしない上に、返事もしようとしない堂上の肩に手を置き、少し後ろにひく。
無理矢理顔を覗き込んで、俺は言葉を探す。
学園の特性上、学園一の存在感を持つ人間が会長になる。
大体は、姿形が人より秀でている人間が会長になり、堂上も一年でありながら、その例外に漏れなかった。
意思が強そうな眉、皮肉に歪む少し薄い唇、いつも偉そうにさえみえる自信をもった目、生徒会長というには少し派手な髪色も、少々着崩された制服も、堂上成己という人間を飾るにふさわしいと言われていた。
賛美を受けて当たり前、思い通りにならないことなどなさそうな堂上成己は、それでも高校生、いや、人間だったらしい。
唇を引き結び、眉間に皺を寄せ、俺からバツ悪そうに視線を外す。
堂上は泣いていた。
「……あーなんっつうか」
肩から手を外し、俺は堂上の頭を軽く二度たたくと、後ろを向いた。
「悪かった」
堂上は何も答えず、鼻を啜った。