意識がはっきりすると、そこはよく見慣れた部屋だった。
俺の部屋の無駄に豪華なソファの上で俺は目が覚める。
上半身を起こそうと思ってソファーに手をつこうとして俺は気がつく。
手が動かない。
いや、動くのだが、動かすと何かが食い込んで痛い。その上、もう片方の手もついてくる。
俺はどうなっているか知りたくて、手を、腕を、しきりに動かす。
おかしい。
俺は一体どうなっているんだ。
とにかく、手が動かないなら、腹筋で起き上がるしかない。
勢いをつけて上半身を起き上げると、あたりを見渡す。
俺の部屋だ。
ゆっくりと視線を移動させ、俺の部屋にはないものを見つける。
遠田渚。
俺を助けてくれた人間。
遠田は俺が目を覚ましたことに気がつくと、視線を俺に向けた。
温度のこもらない、まるでどうでもいいものを見つめるような目で、俺を見る遠田にどう声をかけていいか迷っている間に、遠田は俺に近づく。
「とお…だ…?」
普段ならば。
俺が目を覚ますと声をかけてくれただろう。
かけなくとも、笑いかけるくらいはするだろう。
本人がどう思っていようと、襲われた人間にどういった態度をとればいいかというものを遠田は心得ているように思う。前襲われた時も、俺より焦っていた。
俺の座っているソファに…俺の足の上に乗ると、遠田は俺の肩を軽く押す。
なんの支えも用意していなかった俺は、遠田の様子をおかしいと思いながらソファに倒れる。
遠田が、笑った。
嘲笑でも冷笑でもない、しかし、それはそれらと同じように温度は伴わず、少なからず誰かに向けられている笑みだった。
身震いした。
遠田に何かいうこともできただろうに、声が出ず、ここから逃げることだけに必死になった。
先ほどまでここがどこであるかを認識していたにも関わらず、ここがどこであるかもわからなくなって、とにかくここから逃げなければと、思っていた。
遠田の下で急に動き始めた俺を、遠田は逃さなかった。
先ほどおした肩に手をおき、力をいれて、俺の動きをある程度封じつつ、シャツの片側を手に持つ。
遠田が少し力をいれただけのようにみえた。
実際は、布が引っ張られて、俺の身体に引っかかって、痛かったはずだ。
けれど、痛いというより、シャツが肌蹴られたという焦りと何をされるか理解できない恐怖が勝った。
怖い、逃げなければ、怖い逃げなければ怖い逃げる怖い逃げる怖い怖いこわい
違う体温の手が俺の肌を撫でる。
俺は必死で、手を動かそうとした。
動かない。
足の存在など忘れたように手だけを動かそうとしていた。
なんとかしなければと俺が口を開けて、一、二度、パクパクと動かしたあたりで、遠田の手が止まった。
しばらくするとその手が顔に上がってきて、何かを拭う。
「…会長、大いに反省したっすか?」
一瞬にして遠田はいつもの遠田に戻り、苦笑した。
「……」
「あんたは自分でも自分の魅力知ってるっしょ?こうなる可能性もあるってこと、わかってもらえたっすか?」
俺は何も言えないで、ただ、遠田がもとに戻ったことに先ほどまで怖がっていたことが嘘のように安堵していた。
苦いものとはいえ、温度のある笑みを向けてくれて、ボタンは外れてなくなってしまったが俺の衣服をそれなりに正して、俺の腕に手を伸ばして、何かしている遠田は、まぎれもなくいつもの遠田だ。
「ほら、これで自由っすから」
遠田の手に握られていたのはネクタイ。…縛られていたらしい。
「どきますから…殴ってくれてもいいっすよ」
それぐらいの覚悟は出来ている。といいながら、俺の上からいなくなろうとしている遠田の腕を、俺は必死になって掴む。
先ほどまでとはちがって、自由に動いた手で遠田を捉えて逃さず、俺はもう片方の手を支えに起き上がる。遠田の肩に頭を押し付けた。
「……しばらく、そのままでいろ」
そして、俺がいったように遠田はしばらくじっとしていてくれた。
「襲ってきた人に慰めてもらってどうするんすか」
などと言いながら、俺の背中を軽く叩いてくれるものだから、どうしようもなく切なくなった。
怖かった。
ただ怖かったのだが。
遠田がいつもどおりになったとき、辛かった。
そういう理由で付き合ってきたのかという思いも過ぎって、寂しかった。
だが、本気ではなかったことに安堵し、そういうつもりでなかったことに嬉しさを感じ、腹立たしさも感じた。
「遠田」
「なんすか」
「……たぶん好きなんだが」
「あんたねぇ…」
だって、よかったと思ってしまったのだ。
俺が泣いているときにそばにいたのが遠田でよかった。
たとえ、その原因が遠田であろうとも。