エルは大きく後ろに下がり剣を盾に呪文を唱え始める。その行動は遅いとしか言いようがない。
「四方に遊ぶは風、舞い散るは氷、花びらが如く舞え、遊べ、嵐がごとく狂え、吹き荒れろ」
ここまで俺とエルの戦闘にそれとなく気を向けていた級友たちから声が上がった。
「奪われた……!」
そう、俺はエルが水や氷を作るために力を貸してくれるようお願いをした精霊に更なるお願いをしたのだ。エルのお願いに響かない範囲でのお願いであるため、ただしくは奪ったのではなくお願いを上乗せしたに過ぎない。エルによく相手をしてもらっているだけあり、俺はエルの大剣に刻まれた呪文を知っていたのである。
こういった他人の呼んだ精霊にお願いを通す方法は、よく使われるものではないが、よく知られていた。王の魔法使いでもあるイズベル師が得意としているからだ。
「イズベル師の……!」
エルもすぐに気がついたらしい。呪文に集中できず、呪文の途中で驚きの声を上げる。
エルは魔法もうまく、武術も得意だ。しかし、変則的なことが苦手である。学友としてはとてもいい奴であるのだが、将来の護衛とするには甘い。
「凍れ、凍れ、凍れ、寒さの中、震えて眠れ」
精霊を使う魔法の呪文は、精霊にお願いする言葉で出来ている。
お願いというには乱暴で、指示というにも乱暴だ。言葉も足りない。魔法における呪文の役割は補助で、発動させるには魔法を使う想像が大切になってくる。精霊たちは呪文よりも、主にその想像を読み取っているからだ。魔法使いたちはうまく伝わらなかった分をできるだけ精霊たちに聞いてもらうために、短く素早く言葉にしているだけにすぎない。
だから、こうして他人の呼んだ精霊にお願いが通せるのだ。
少し呪文を変えてしまったが、俺が発動させたのはイーチェ・フロス・ショウロという氷の欠片が嵐のように舞い狂う赤魔法である。
あっという間に、そう広くもない演習所の温度が下がった。
「すみません! ラグ様! 降参しますから!」
何も悪いことをしていないというのに謝られるのは、少しやってしまった感じがあって気まずい。いつも軽く反省するのだが、何故か次の瞬間にはその反省を忘れるのだからおかしなものである。
俺はあってないような反省をしつつも、魔法を止め、ふと演習場の隅をみた。戦闘中、大人しくしていたユキシロが嬉しそうに少し尾を振るのを目撃し、寒い方が好きなのだろうなとしみじみ思い呟く。
「少しだけ、運んでやってくれ」
俺の呟きを拾ったのか、俺の思ったことを感じ取ったのか、まだお願いを聞いてくれるつもりのあった風の精霊たちが氷の欠片を少し集めてユキシロまで運んだ。
風の精霊の動きに、まだやるんですかと身構えたエルが間抜けに見えて、俺は笑う。
「何笑ってるんですか……」
少し恨めしげな顔をしたエルに、フォーもたまにそんな顔をするなと思い出す。両者ともに俺が一人で笑っているときに限ってそういう顔をするのだ。俺は更に笑ってしまう。
エルは大剣を元の場所に送還し、俺に近づくと、視線にまで恨めしさ込め見つめてきた。その様子は、フォーよりも幼く見える。エルはフォーと違って可愛げのない冷たい風貌をしているが、こうしていると同じ年であるにも関わらず可愛い弟分に見えてくるから不思議だ。
「いや、フォーもそんな顔をしていたなと思って」
「そうですよね。フォー様も、ラグ様のおやりになることに不満がありますよね」
俺と親しいといわれる人間は、大抵こういった憎まれ口をたたく。フォーもそうであるし、セルディナも、今は親しくしているロノウェとてそうである。
「なら、ロノウェも相当不満があるんだな」
「……ロノウェが?」
エルが首を傾げた。それもそうだろう。俺の護衛官でそんなことをいうのは、今のところロノウェしかいない。
俺はそれとなく、演習場の隅にいるユキシロを見た。ユキシロは相棒のことを思い出されていると知って知らずか、氷の欠片を届けられ喜んでいる。俺の視線に気付きいつもより、愛想よく尾を振った。
「寝台に誘ってはすげなく断られている」
「ああ、それは……ですが、いつもはそんなこと言われませんし、言わせませんでしょう」
エルのいう通りである。
ロノウェの最初の反応が良かったばかりに、俺はロノウェを構いすぎていた。それだけなら、護衛官で遊ぶときによくやることだ。しかし、ロノウェは他の護衛官と違い、まるでセルディナのような答えを返すのである。
「頭がいい、違うな、反応がいい? ……これも違う。とにかく上手い」
「……まさか、いかがわしいことではありませんよね?」
いかがわしいことが上手いというのなら、是非体感してみたいものだ。
俺が勉学よりも色事に精を出してしまったばかりに、真面目なエルまで疑ってかかる。フォーと違って声は潜めるのだから、まだ上品だ。
「さぁな。そう思えば、フォーにもやらしいことを考えていると疑われたな……少し、護衛官の腕前をみたいというだけだというのに」
「……ラグ様が言うと、その腕前がどうしてもいかがわしく聞こえるからですよ……」
「心外だな。俺は、ロノウェの戦闘能力を知りたいだけなのに」
昼食時にロノウェの活躍を聞いた時にも思ったのだ。フォーが絶賛するほどの腕前や、ロノウェの使ったという魔法が見てみたい。そう思っただけであるのに、フォーに怪しまれてしまったのである。確かに余計なことも多少は考えたが、それはついでのようなものだ。
「ロノウェのですか? ……実力は俺もよく知らないんです。ただ、それについて何かあったらしくて。始まりはラグ様の護衛抜擢だったそうです。騎士団長同士が決めたことで、急なことだったとかで」
エルはロノウェの実力のことで少し思い当たるものがあるらしい。あまり護衛官自体には興味のない俺にも、ロノウェは色々怪しく見えるのだ。護衛官になった人間に並々ならぬ興味があるだろう近衛の人間には、もっと怪しく見えるのかもしれない。
「そうなのか?」
「はい。俺はロノウェやセルディとは違って騎士団に属しているわけではないのですが、近衛騎士団の友人が言ってました。第一王子護衛官の席が急に空席になるのは普通ですが、近衛のほうに一度も打診がなく決まったと。だから、ラグ様の護衛官の席に座る際に……あ」
「なんだ?」
エルは慌てたように、あたりを見渡し、俺の傍に寄った。
「さすがに、ここで言ってしまってはロノウェの噂が」
エルの小さな声に、俺もあたりを見渡す。そう思えば、まだ授業中で、俺たちは演習場に居るのだ。真面目で、周りのことを気にするエルがこうして話し込むのは珍しいことだった。それほど、ロノウェがおかしな存在なのだろう。
「なら、後で教えてくれ」
俺の言葉にエルが頷く。
すると、まるで俺たちの話が終わるのを待っていたかのようにユキシロが駆けて来た。氷の欠片になんて喜んだりしていませんよというように澄ました様子でやってきたため、俺は少し笑うとこう言ってやった。
「……内緒な?」