「クラウグルは?」 エルの目が少し揺れた。そのあと口を一瞬引き結ぶ。それはエルがなにかまずいと思ったとき、良くする表情だ。本人は気付いていないらしく、そのまま口を開いた。 「ウルにはここに来る途中で会いましたが、まだ少しかかるかと。ロノウェやセルディもいましたから、あの二人も一緒に来るんじゃないですか?」 ロノウェとクラウグルは知り合いなのかもしれない。クラウグルの父親は北方騎士団の団長である。ロノウェが北方騎士団の人間だったのなら、ロノウェとクラウグルが一緒にいることは自然なことだ。しかし、そうなるとセルディナに違和感を覚えてしまう。 「……セルディナはどうして一緒にいるんだ?」 セルディナはフォーといると気安いように見える。それはフォーの前でだけで、フォー以外の人間とはあまり触れ合おうという気がない。ロノウェといることすら、学園の案内役だったということと護衛官同士であるということを考慮しなければ、おかしいと思えるくらいだ。 エルが何かまずいと思ったことも、俺に引っかかりを与えるに十分である。だが、気にするにはまだ情報が少ない。 「護衛として同僚の扱い、なんでしょうか? 俺にはちょっと解らないんですけど、本人に聞いてみますか?」 「いや、いい。学園の案内もしていたことだ。一緒にいるだけなんだろう」 特に何かあったわけでも、今何か起こっているわけでもない。それとも、俺が知らないだけで、今何か起こっていて、これから何か起こるのだろうか。 しかし、何か起こったとしても、最悪ロノウェという護衛がいなくなるだけの話だ。俺に何も伝えてこないということは、事はそれで終わるということである。 「……つまんねぇの」 ユキシロの耳が小さく揺れたが、俺の呟きはそれ以外の人間に聞かれなかった。 ◆◇◆◇◆ 恋愛だけではなく、王となるのなら出来なくなることは多い。 だから、学生の間は出来るだけやりたいことをやろうと思っていた。 それ故、品性がないだとか、そんな方だとは思わなかっただとか理想と現実に打ちひしがれる護衛があとを絶たない。 ロノウェも入学式に俺を見て笑うほどの何かがあったはずだ。しかし、ロノウェは俺がその何かを壊すだろうことをしても、眉一つ動かさない。 だからクラウグルが来る前に会議を終わらせ、エルを会議室から追い出すと、俺はフォーを唆し、魔法で罠を作った。ロノウェの表情が変わる様子を見たかったのである。 クラウグルはセルディナやロノウェと一緒に来るだろうとエルが言っていた。だから、それに期待して罠を仕掛けた。ロノウェは護衛官になって日が浅い。俺とフォーがどういった暇つぶしをするか、まだ気付いていないだろう。それとは違い、クラウグルもセルディナも、俺たちの悪戯には慣れている。会議室の扉はロノウェが開けることになるはずだ。そう思ったからこそ扉に仕掛けた。 扉にかけたのは水系統の赤魔法アクウセ・アクア、攻撃魔法の一種だ。本来ならば人体をやすやすと貫通するほどの威力がある水の針をいくつか形成、射出する魔法で、扉に仕掛けたものは人に触れても水に濡れたと感じるだけになるまで威力を落としたものである。 「ユキちゃん、シーだよ」 ユキシロに魔法のことを知らされないように、フォーはユキシロを撫でながら唇に人差し指を添えた。そんなことをしなくても、ロノウェが怪我をしないのならユキシロは動かないつもりなのだろう。魔法の仕掛けられた扉に見向きもしない。 罠を仕掛け、フォーがユキシロの傍で息を潜めてしばらく経った。 急にユキシロが扉を見る。ユキシロには解ったのだろう。扉を開けたのはやはり、ロノウェだ。 しかし、ロノウェはすぐ何かに気がつくと扉から手を離し、横に飛んだ。二、三歩後退し、右に数歩足を動かしたあと、腰元に手を伸ばす。そこには鞘に入ったナイフにしては少し長いものがあった。 危機回避と、反射神経がいいのかもしれない。俺の護衛官になるのならばそうでなければ勤まらないから当然だろう。面白い見世物だった。 「お、避けた」 「えー、兄上、お気に入りだからって手抜いた?」 「抜いてねぇよ。クラウグルとセルディナは、離れてるみてぇだな。人身御供されてやんの」 扉の向こう側を見ながらそう言ったものの、ロノウェが扉を開けることを俺は確信していたのだ。本人に聞かせるために、わざと腹の立ちそうな言葉を使った。 それなのに、ロノウェはいつもと変わらない。 ユキシロなどは魔法を避けることも確信していたらしい。魔法を避けきった相棒を自慢するように、俺に振り向いて得意げな顔をした。ロノウェよりよほど雄弁だ。 「やっぱり仕掛けてあったな」 クラウグルの言葉にもロノウェの表情は変わらなかった。解っていて扉を開けさせられたことを嫌だと思ったりはしないのだろうか。それとも、思ったとしても顔に出ないだけなのだろうか。 ロノウェは床を確認した後、セルディナに続いて会議室に入ってきた。やはり、何も変わらず、いつも通り少し口の端が下がった怒っているようにも見える無表情だ。 「副議長を何処にやったんですか?」 会議室の中を見渡したあと、ロノウェが言ったことはそれだった。もしかしたら、気分はあまり良くなかったのかもしれない。表情があまり顔に出ないのならば、今後はそれが表に出るほど感情を揺さぶってみるのも楽しいだろう。 「会議室に入った途端それか? ロノウェ、お前、俺とフォーのことをなんだと思ってるんだ?」 ロノウェが何も言わないため、ユキシロが動けずに不満そうだ。俺とフォーからはやく解放されたいらしく、そわそわと身体を揺らしている。ユキシロは人でも猫でもないが、猫を借りて来ていたのかもしれない。相棒であるロノウェが感情の起伏を見せないせいで、ユキシロの様子が際立つ。それすらも、今は面白い。 ロノウェはユキシロの様子に気付いていないのか、俺に答えただけだった。 「オウジサマ、デス」 「なんかぎこちない言い方なの気のせいかな?」 「こんな立派なオウジサマを前に失礼なやつだな、ロノウェ」 自分自身でもオウジサマなどと思って居ない。しかし、これでロノウェをからかうのも楽しそうである。俺はフォーが業とらしく嘘泣きし、がっかりして見せた横で、少し所在なさ気に目を揺らしてから、視線を外へと向けた。 視界の外に居るロノウェの様子は解らないが、呆れているか嫌がっているか、どちらにせよ表情は変わっていないような気がする。なんとなく、ロノウェの表情は手強い気がしていた。 |