そんなわけであるから、寝不足で仕事にも挑まねばならず、帰ったらすぐさま寝てやると意気込んでいたというのに、帰ったら帰ったで、俺はアパートのドアさえ開けられない。
酔っぱらいがドアの前で管を巻いていたのだ。
酔っ払いはいつもより不機嫌なのか、眉間に深く皺を刻んで難しい顔をして俺がやってくるだろう方向を睨んでいた。
「おい」
俺が声をかけると、相変わらず、洗濯機とドアが作った角にもたれかかって窮屈そうにしている酔っぱらいも、手をあげて挨拶してくれた。
「よぉ」
見慣れた光景だ。
俺の住んでいるアパートが繁華街に近いせいもあって、終電を逃しては俺のアパートのドアにもたれかかっている。
毎回世話を焼くのは面倒であるし、一応恋人だから合鍵は渡しているはずなのだが、この男は渡して早々になくしたといって、暑くても寒くても風が強くても雨が降っていても、こうやって待っている。だから、もう一度合鍵を渡す気にもなれず、渋々面倒を見ていた。
「花巻に聞いたんだけど」
俺はコートのポケットに入っている鍵を取り出しながら、頷く。
飲んでいる割には、珍しく眠たそうにしていない大塚は、俺の様子をじっと見つめたまま続けた。
「新年会、あの野郎くるって?」
「花巻と東加の催す飲み会は野郎しかこねぇけど」
なんともむさくるしく、雄々しい。
大塚の言いたいことはわかっていたが、わざと混ぜ返すようなことを言い、手に持った鍵を鍵穴に差し込む。
「篠目」
大塚の『篠目』というときの声が、俺は結構、好きだ。
俺を引き止めたり、俺に呼びかけたりするために使われることが少なく、合言葉のように使われる、その響きが好きなのだろう。
それを聞いてしまうと、何を言われても、仕方ないなと思える。
甘いと自分でも思う。
「野々村か」
大塚が頷いたのを見て、鍵を回した。
鍵はあっけないほど簡単に開く。開かないのは、いつも誰かがもたれかかっているドアだ。
「なんで」
その何故は、なんに対する疑問なのかも尋ねないで、俺は右手を大塚に差し出す。
大塚はしばらく、俺の手を睨みつけたあと、俺の手を支えに、立ち上がった。
どうやら今日は、飲んでいるがさほど酔っていないらしい。
「なんで」
もう一度尋ねる大塚の手を掴んだまま、俺はアパートのドアを開ける。
「知らん。飲みたいだけじゃねぇの」
俺が新年会があるという情報を与えたようなものだし、新年会に参加すると野々村は俺に言ってきたが、理由は聞いていない。
花巻がわざわざ電話をしてきたが、それも眠気と不機嫌さと面倒臭さで、正直なところどうでもよかった。
「……」
大塚は納得できないようで、未だ繋がっている手を引いて入室阻止をしてきた。
「お前がいるからじゃねぇの」
俺はその手を振り払い、大塚に呆れた視線を向ける。
「どうしてそう思う?」
「ハナがお前が野々村に教えたから参加するっつってた」
間髪いれず返された言葉に、俺はどうしようもなくもどかしい気持ちになった。
野々村は楽しことがあればとりあえず参加をする。俺のことをマブダチだと思って、気に入っていることも参加する理由かも知れないが、楽しそうに思えなければ参加はしない。
大塚がいると知っていて、喧嘩になることも解っていて、参加すると決めたのは、その喧嘩も楽しいからだ。
「急に色気づいて勘ぐるか……馬鹿だよ、お前」
大塚は嫉妬をしているようだった。
俺を間に挟んで俺を取り合ってる風にみえるのも馬鹿らしいが、俺に嫉妬するのも馬鹿だ。
俺は大塚だけであるし、野々村は俺を気に入っているが、俺をそういった感情で見ていない。そして、大塚も、ある意味野々村が大好きなのだから、挟まれた俺は大迷惑でしかない。
俺がいつもの口癖を吐き出すと、大塚はいつもどおり眉間に皺を寄せた。
「俺はお前だけが好きだし、野々村は俺のこと恋しくなんて思ってねぇよ。それで、お前は野々村が好きだろ。驚く程一方通行だバカ者。複雑そうに見てんじゃねぇよ」
軽く大塚の頭にチョップを食らわしたあと、その手を下ろして、大塚の頬を引っ張る。
「……なひ?」
いつもより低い、不機嫌な声を聞く。
けれど、最初見たときよりは不機嫌ではない。照れ隠しである。可愛いものだ。
しかも俺が頬を引っ張っているため、不機嫌な顔で睨んでも迫力がない。
間抜けな顔に少し癒されて、俺は右手を頬から外すと、引っ張っていた頬とは逆の頬に唇を当てる。
離れてみると大塚が豆鉄砲食らった鳩のような顔をしていた。
ポカンとして立っている大塚を蹴る。
「ただいま、お休み、さようならのちゅーだ。じゃあな」
部屋に入るとすぐさまドアを閉め鍵をかける。
しばらくして鉄骨の階段を誰かが降りていく音が聞こえた。
少し音の間隔が狭くて速い。照れたのかと思い、布団にゴソゴソ潜りながら、気持ちよく眠りについた。