アイラブユーまで待てない



「あーあ、ホントサァー、たっつんは喧嘩に加わっちゃダメだろォ」
「ここを店長に預かってる俺はお前らの喧嘩を止める義務がある」
俺以外の従業員である後輩が、俺に小さく頭を下げた。新年会は俺の友人が主催するということもあって、店長は俺が来たと知るや否や何処かへ行ってしまったらしい。俺に任せるつもりであるようだ。
店長は今日も不在というわけである。
不貞腐れた様子の大塚が、俺の隣でぼやく野々村を睨んだ。その視線を真っ向から受け野々村も大塚を睨み返す。
俺の両隣に座ってまで、やめてもらいたいものだ。
「たっつんは、最終兵器だから、マジ」
「……てめぇが弱ぇってだけの話だろ」
野々村の言葉にいち早く反応するのも本当に勘弁してもらいたい。
その言葉に野々村が無駄に反応してくれるものだから、間に挟まれた俺は仕方なく二人を止めねばならなくなるからだ。
「んだと、おら、やんのかよ」
「は、上等」
「お前ら、本当、馬鹿だよ。俺を挟んで喧嘩すんじゃねぇよ。俺を挟まなくても喧嘩すんじゃねぇよ。もう、できたら帰れ、どっちか」
野々村が鼻を鳴らした。
よく似合う仕草だが、態度はもちろんよろしくない。
「俺はヤだね」
「じゃあ、大塚帰れ」
大塚の眉間に皺がよった。いつもの不満そうな、あの顔だ。
「野々村が帰んなら、考える」
誰かが鼻で笑った。
もうすでに、二人がこのまま言い合いをするのも喧嘩をしようとするのも、止めるだけ無駄なのだろう。
「んだと……」
仕方なくシガレットケースを取り出し、タバコを手のひらに落とした。
簡単にタバコは落ちてきたが、二本目まで落ちてくるのはいただけない。右と左でイヤホンかヘッドホン、あるいは高機能なステレオのようにああ言えばこう言う二人くらいダメである。二本目のタバコをシガレットケースに押し込み、俺はそれをカウンターの上におく。
タバコのオマケのライターで、タバコに火を付け、一息、吸った。
俺を間にくだらない喧嘩をしている二人がいては、タバコの効力も薄い。吸った息は煙と共にすぐ吐き出された。
落ち着かない。
「やんなら、お前ら二人とも帰れよ。新年会ってのは、飲んだくれて人に迷惑かけることはあっても、喧嘩して人に迷惑かけるもんじゃねぇよ。まして、俺にかけるな。店に被害を出すな。つうか、帰れ。まじ帰れ。本当、帰れ」
苛立ちのあまり、帰れという言葉しか口から出なかった。せめて少しでも黙るために、再び口元にタバコを持っていく。いつもと違いタバコはまずかった。
それが、この二人に挟まれているせいなのか、何かと言っては反応する二人の仲の良さに辟易としているせいなのかわからない。
「……いつも、帰れっていうよな」
大塚がぽつりとこぼした。しかし、帰って欲しいようなことをする大塚が悪い。たまには帰らないでとかいって欲しいのだろうか。正直、そんな俺は気持ちが悪い。愛してるという俺くらい鳥肌が立つ。
「他に何を言えと」
その気持ち悪さをごまかすためにタバコを灰皿に押し付ける。大塚の顔など見ていないが、恐らくまた眉間に皺を寄せていることだろう。
「いっつも帰れっていわれてんのかよ」
野々村は本当に言わなければいいようなことをいう男だ。大塚が文句をいうのもわからないではない。
「……お前も言われてんだろうが」
大塚が不機嫌そうにぼそぼそと話すものだから、俺は野々村に使った罵倒を覚えている限り思い浮かべる。そうしてみて、はじめて気がつく。俺は野々村には、帰れといった覚えがない。帰れというようなことになったことがないし、帰って欲しいこともなかった。強いて言うのなら、どこにいようが俺に関わっていなければ、その姿に腹立とうと苛立とうと、どうでも良かったのだ。
「言われたことねぇよ」
しかし野々村とは違い、大塚にはよく帰れと言っている気がする。良くも悪くも、大塚がいるとペースが狂うせいで、近寄って欲しくないという気持ちがあったりするからだ。そばにいれば文句を言っても、大塚を中心に俺の世界が回ってしまうし、いなければいないで大塚のことを考えるのだから始末に負えない。
「なんで」
「ハァ?そんなの、お前がうっぜェからに決まってんじゃねぇか」
「てめぇに聞いてねぇ。なぁ、なんで」
野々村が勝手に答えてくれたから、俺は黙ってもう一度タバコを吸おうとしていた。シガレットケースに伸びた手は、それに触れることなくカウンターに留まる。
「野々村に言う必要と機会がなかったから」
事実を簡潔に答えると、再びシガレットケースに手を伸ばす。
「なんで」
もう一度の何故に、野々村が楽しそうに笑う。
「お前、実は嫌われてんじゃねぇーの」
わざとらしいからかいだ。
いつもなら、大塚はすでに立ち上がり、野々村に殴りかかっているだろう。俺が間にいるばかりにそれができないようだ。
俺はことさら普段通りに努めながらも、苛立ちに任せタバコを求める。シガレットケースのゴムを浮かせると、ついに汚い輪ゴムが切れた。
手に握りこむような形になっていた輪ゴムは、俺の手のひらの中に残る。地味に痛かった。

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