「だから、てめぇには聞いてねぇよ」
大塚が俺の座っているスツールの足を蹴った。返事の催促だ。
珍しく殴りかからないのは俺が間にいることだけではなく、俺自体に腹を立てているらしい。
野々村より俺に気を向けていることに、わずかばかり気をよくする。
それでも平素と変わらぬふりをしてタバコを再び指に挟む。
「お前には言う機会も、言う必要もあったってことだ」
適当に答えたが、間違っていなかった。
スツールの足がもう一度蹴られた。今度のは、怒りだろう。
「嫌われてやんの」
楽しそうを越して、嬉しそうになってきた野々村に、そろそろ注意の一つもしてやるべきだろうか。口を開こうとしたところで、大塚が立ち上がった。
俺を挟んでも喧嘩するつもりなのだろう雰囲気を、肌で感じる。
余計なことを言うからだ。
わずかな気分の良さなどすぐにきえた。俺に向いた気持ちなど一瞬で霧散するものでしかないのだ。
「野々村は確かに腹立つし、イライラするけど、そこで怒るべきなのは俺じゃねぇの、大塚」
「あ?」
大塚が俺を見たのがわかった。その程度で少し嬉しいと感じる。それも、俺を苛立たせ、口を滑らかにさせた。
「お前に言う機会が多いのは、純粋にお前と会ってる時間が多いからだ。あと言う必要があるのは、そこのは放っておけばいいけど、お前はそうじゃねぇってことだ。わかるか?」
「わかんねぇよ。ぜんぜん、わかんねぇ」
これが好きとか嫌いとかどうでもいいとかいう答えに至る男の言葉かと思う。もっと頭を使ってほしいものだ。それとも頭に血が上って考えられないのか、単純に恋愛にはむかないのか。おそらく、その両方だ。
「じゃあ、ヒントやろうか。俺はお前が好き、それでそこのはわりとどうでもいい」
「おい、ちょっと待て、なんか俺、軽くどうでもいいとかそこのとかいわれたか」
野々村の言うことは無視して、俺は大塚を見る。
大塚は怒っているのを隠しきれない様子に見えた。
「わかんねぇ?」
「わかんねぇよ」
俺はタバコに火をつけずに灰皿に置くと、携帯電話を取り出す。短縮五番を押すと、店長の携帯につながる。
「すみません店長。俺、急用できて新年会抜けるんで……ええ、いいですか?わかりました。ありがとうございます」
このまま大塚と話しても俺が苛立つだけに違いない。そう予感した俺は、休日と引き換えに店長に店に来てもらうことにした。苛立って余計なことを口から出さないようにするためだ。
大塚は俺のことがわからないのか、俺の気持ちがわからないのか、俺同様苛立っているようである。
どちらであっても今は同じだ。
大塚はわからないということははっきりしている。
ならば、なぜ野々村のことは、答えをだせたのだろう。
大塚には俺と野々村が同列に思う人間ではないのだから、まったく違うことである。そうであるのに、俺は同じことのように感じている。それが馬鹿らしく、勘違いもはなはだしいことを知っていながら、嫉妬心で八つ当たりしか出来ない。
くだらなくて、情けなくて、俺はただこの場から逃げたくなった。
つい先日までは、機嫌がいいくらいだったというのに、あの夢を見るたびに、大塚と野々村の喧嘩を見るたびに思ってしまうのだ。
いつまで俺は野々村ばかりに気をとられる大塚を見ていなければならないのだろう。俺が隣にいるのに、野々村ばかり見ている大塚を見なければならないのだろう。
何か言ってしまう前に、逃げたかった。
「わかりにくいか。でも、言ったよな。俺はお前が好き、そこのはどうでもいい。はっきりしてるだろ?どうでもいいものにあまり何かに言ってやるつもりはねぇんだよ、俺は」
それでも、俺の口は止まらない。
俺の隣にいる大塚はただ無言で俺を睨み、唇を引き結ぶ。大塚も何かいいたそうであったが、俺の口が滑らかにすべりすぎているためか、それをためらい、口を閉じているようである。
「俺、こんなに心のくじけるの初めてなんだけど」
もう片方の隣にいる野々村がしおれた声で呟く。心の余裕は自分自身の口を開くたびになくしたが、それをいい気味だと思う意地の悪さは、まだ持ち合わせていた。
「よかったな、初体験だな、野々村」
ことさら優しく野々村に笑いかけ、大塚に視線を戻す。大塚は何か考えているふうだったが、一度頭に上った血はそう簡単におりてこないようだ。まだ黙ったままである。
その様子によせばいいのに、また一言こぼす。
「お前がさ、なんだかんだと野々村に構うようなもんだよ」
「あ?」
「いや、マジで?」
俺はスツールからおりて、東加を探す。
すぐに見つかり、俺は帰ると声をかけた。
「え、早くね?」
「こいつらの喧嘩止めるのもう嫌だから」
遠くから叫ぶように返事をしてくれた東加は、俺の答えに大声で笑う。すでに東加も酔っ払っているらしい。
「お前らが帰らねぇなら、俺が帰ったらいいんだよな」
「え、いや、それちげーんじゃねェの」
また野々村を無視して、だんだん頭が冷えてきたのか、俺の様子を目を白黒させながら見ている大塚の頭を乱暴になでる。
「野々村と仲良くしろよ。東加に迷惑かけんじゃねぇぞ、大塚」
二度と会わないような言い方だ。
大塚が変な顔をする。少し、焦っているようにも見えた。
「おい、最後も無視かよ」
やはり野々村のことは無視して、俺は出口に向かう。
未だ頭がついてこないのか、大塚が慌てているようなのに立ち尽くしていることや、俺の場かさ加減が面白くなってきて、俺はまた無駄口をたたく。
「それとも、さよならのちゅーとかいるか?」
出口から出て行く際に、銀色の何かが俺に向かって投げられたのが見えた。
俺は迷わず、そそくさと店から出る。
「あーあー、てめぇ、マジ手ェ早ェよなァ……これ、たっつんのだろって、これ、たっつん持ってたのかよ」
「……?」