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ゆっくりと店から駅へと向かっていた。
そろそろ終電だからだろう。駅に向かう人々は皆、急ぎ足だ。
その中に交じるような騒がしい足音が、俺を追い抜いた。
大塚だ。
「おまえ、本当、馬鹿だな」
そう言って、俺を追い越して俺の前に立った大塚に苦笑する。
肩で息をしながら、コートも着ずに走ってきた大塚の手には、俺のシガレットケースが握られていた。
それは、俺がゲーセンでもらったものだ。
野々村がゲーセンでとって、大塚に投げつけて、大塚が拾ったそれをゴミ箱の近くにいた俺に捨ててくれと頼んだものだ。
それを貰って、使っていた。
最初から便利な面がなかった。いまや輪ゴムがなければ蓋も締められない欠陥品だし、たぶん、さっき大塚が投げたのもそれなのだろう。
大事にするほどのものではない。
大塚の手に収まる不恰好なシガレットケースを見下ろす。店を出る前より、ひどい形をしている気がした。
シガレットケースに視線を落としたまま、俺は続ける。
「それはおまえにやるよ」
喧嘩の際に投げられたシガレットケースを拾ったのは、どういう気持ちだったかなんて想像できるほど俺は想像力が豊かではない。だが、一度拾って、しばらく持っていたものに対してどういう気持ちを持ったかについては、少しだけわかる。
たぶん大塚が持っていた気持ちを、俺は大塚が捨てたかったシガレットケースに持っていた。
「篠目」
俺が好きな呼び声も、好きだと思う一方でむなしさを感じる。
こんなことをするたびに、大塚や野々村の話をきくたびに、態度の違いを見つけるたびに、本当に俺は馬鹿だと思う。
俺は大塚が好きだ。ごっこ遊びでも、付き合っていればいつかなんて希望を、持っていたのかもしれない。
しかし、大塚は変わらなかった。結局、俺はただ大塚だからと諦めを覚え、気持ちをだらだらと悪化させ続けただけだ。
「お前は、すぐ俺に色々聞きたがるけど、聞いてみろよ、野々村にも」
今の俺は、大塚に何か喋らせるほどの余裕もない。
これが一年ほどまえの俺の望んだことなのだろうか。
そんなわけがない。簡単に否定できる。
わかっていてもただただ野々村と大塚が揃うと嫉妬してしまうのは、この二人がいつまでたっても変わらないからだ。俺と大塚の関係が、本当にどうだっていいお付き合いにしかならなかったからでもある。 「お前ら、たぶん両想いだよ。ある意味」 嫉妬が苛立ちになり、八つ当たりとして表にでていく。本当に格好悪いばかりで、自分自身を殴りたくなる。
大塚に格好つけたところでなにもならないとどこかで呆れる自分もいるだけに、笑えてしまう。
しかし、俺は笑わない。
大塚が口を開こうとするのを止めるために、俺は更に続けた。
「やっぱ、俺とお前の、こういうの意味ねぇわ。だって、俺はお前のことバカみたいに好きすぎる」
まだ終わらせる気持ちはなかった。
けれど、大塚が嫉妬をしたような態度をとると、俺のことはどうでもいいんだからと、卑屈な気持ちになる。大塚が俺にこうして何か聞くたび、聞くんじゃねぇよと思う。
最初に言われたことが、鮮烈すぎた。
好きとか嫌いとかそういうものに振り回されない特別さと、好きとか嫌いとか考えることへの諦めがそこにあった。
あの時のことが、いつも、頭の片隅に、残っている。
空気は冬の早朝とあって、冷たく澄んでいたというのに、俺の視界には汚れた床があるだけだった。
何かあるたびに、あの汚い床が脳裏をよぎり、誰かの声が聞こえるのだ。
好きとか嫌いとかは、もうどうでもいい。
「じゃあな。またはねぇ。別れよう」
終電に間に合うだろうか。現実逃避にそう思って、俺は大塚の言いたいことも聞かないで背を向け急いで足を動かした。
大塚は追いかけてこない。
それがどういうことなのかは、今は考えたくなかった。
誰にも止められないまま俺は電車に乗る。
他人がいっぱいで、車両が広いか狭いかもわからない。
俺はただ、他人のつまった車両の中、好きとか嫌いとか、そんなことは、もうどうでもいいと誰かに見習って言い聞かせるのに必死だった。
どうということはないはずだ。友人以上であって恋人ではなかった恋人から、恋人という名前をとっても、かわらない関係があるはずだ。
結局、大塚の遅刻の代わりに強請ったタバコは、七箱すべてもらい損ねてしまったなと、アパートの部屋について気が付く。これを機に禁煙なんて始めたら、大塚は笑うだろうか。別れてきたはずなのに、すぐに俺の中に侵入してくる大塚は、心の中であってさえ図々しいなと、小さく呻いた。