仕事が終わって、早起きなんてするもんじゃねぇなと思いながら、重たい身体を引きずるようにしてついたアパート。
その部屋の一つ、外に出すしかない洗濯機にもたれかかって、酔っぱらいが一人。
いくら住人が少ないボロアパートといえど、飲んだくれた残骸を散りばめ、顔に喧嘩の跡を残す人間がいたら、不審人物として連絡されても仕方ない。
幸いなことにこの部屋の近隣住人は、洗濯機にもたれかかる不審人物に親切であるため、待っている間一緒に晩酌をして楽しんでも、楽しく酔っ払って健気にお外で待ってるとフラフラ出て行っても、冷やかしこそすれ止めたことがなかった。簡単に外に出てしまう時分には、寒いだろうなということをあまり配慮できない酔っ払いしかいないので、それも仕方がないのかもしれない。
「帰れっつったよな」
「んー、飲みたかった」
俺は厄介者を足で、邪魔にならないように押し出したかったが、それがままならない。
「邪魔なんだが」
「素敵なバーテンダー冷たい」
「素敵なバーテンダーも人間だ。仕事帰りはお疲れなんだよ。さっさと寝たいんだよ。誰かさんの気まぐれのせいで昨日は早くから起きて、テラスで座り続けて、疲れてんだよ。退け、そして帰れ」
「健気な恋人に対して冷たい」
俺は健気な恋人とやらを跨いで、部屋の鍵を開ける。
「俺はひどくて冷たい恋人だが、もう帰れとは言わない。だから退いてくれないか。俺が帰れない」
健気な恋人が手を招くので、俺は疲れ切ってだるい身体を折り曲げた。
「ただいまのちゅーは?」 俺は呆れた顔をしたに違いない。
だから嫌なのだ。
大塚が酔うと、やたらキスだのハグだの誰彼構わず求めるから、外では飲ませたくないし、できることなら、こうして俺の前でも酔って欲しくない。
キスもハグも嫌いではないし、理性がその程度でタガを外すほどの色気が酔った大塚にはないので、安心安全の物件なのだが、如何せん酒臭く、酔っぱらいはしつこい上に鬱陶しい。そう、最たる理由は鬱陶しいので、飲ませたくないのだ。
だから、こうして求められたら、キスをしない限りは少しも前に進まない会話をし続けなければならないし、無理矢理動かすことも困難だ。そしていくら面倒くさくても、寒空の下、放っておくこともできない。
仕方なく酔っぱらいで健気な恋人の唇に、触れるだけの音が派手なキスをして、俺の腕をその脇の下に通す。
「ほら、立て」
「篠目(しののめ)」
「あ?」
「泊めろ」
「電車もう動いてんだけど」
俺の職場は終電を逃した人に優しい。閉店は、始発あたりだ。 俺が帰ってきた時点で、早上がりでない限り、始発の電車はとっくに走り去っている。
それでも、俺は大塚を泊めてやるつもりがある。このまま帰すと、悪くて人様の迷惑になる。良くてもゴミ捨て場できっと寝ている。
「家帰っても一人」
「そんなん俺も一緒なんだけど」
「バーテンダー酒よりタバコの臭い」
「仕事してる時は吸ってねぇし、できるだけのまねぇよ」
酔っぱらいの話題があちらこちらに散らばるのを、それとなく拾いつつ、俺は俺の肩に寄りかかるやけに重たい男をどこに転がしたものか考える。
漸く障害物がなくなってスムーズに動くようになったドアと違って、今度は重りを抱える俺が、スムーズに動けなくなった。
「篠目、篠目」
「あんだよ」
「野々村、俺と、ずっと喧嘩してくれっかなぁ」
本当に、酔っぱらいの話は行き着くところをしらない。話の運び方もしらない。俺の機嫌を下降させる言葉をしらない。いや、これは酔っ払ってなくてもそうだ。付き合いが長くなったせいか、遠慮というやつも知らない。
酔っぱらいを部屋の中に入れ、靴を脱がせると、待ち合わせに遅刻しなかったとはいえ、しぶとく縋り付き、最終的には跳ね上げたままになっている布団に転がす。
「してくれるんじゃねぇの」
喧嘩友達など、年を取れば取るほどいなくなっていくものだ。
喧嘩をする体力がなくなるとか、年を取れば落ち着いていくとか、わざわざ喧嘩している時間もなくなってしまうとか、色々ある。
喧嘩する時間を無駄だと感じれば、避けることだってあるだろう。
それでも、大塚も、野々村も、落ち着かず、飽きもせず、顔を合わせては殴り合いだ。
そろそろ口喧嘩に移行してもバチは当たらないのに、ぶつかっていくことをやめない。
それでいて、酔っ払っては俺に尋ねるのだ。
野々村も大塚も、子供ではない。
だから、いつか、喧嘩もしなくなってしまうかもしれない。
そうして疎遠になっていくのかもしれない。
それは野々村を特別におもっている大塚にとって寂しいことだ。
もう既に二人の喧嘩に飽き飽きしている周りの人間すら、それを寂しく思うだろう。
子供から大人になるのは、少し寂しく、少し切ない。
いい年をした大人でなくても、喧嘩をすることはいいこととは言えないが、二人はある種の象徴のようで、ずっとそうしていて欲しい気持ちも周囲の人間にはあるのだ。
「よかった」
呟いて、俺の跳ね上げた毛布と掛け布団を手繰り寄せ、身体に巻きつけ、大塚は眠りについた。
お仕事帰りの上に酔っ払いに付き合い、疲れ切った家主のことなど微塵も考えていない大塚にため息をつきつつ、俺は服を脱ぎ散らかした。
そして、客用布団のある押入れの中に入る。
子供さえも狭いと言うだろうそこに、大人の男である俺が入るのは無理があったが、布団をそこからだすことも、敷くこともひどく億劫だった。
押入れのふすまを閉めると、畳まれた布団の間に無理矢理身体を入れて丸くなる。
きっと目覚めは最悪であるに違いない。
翌朝、目が覚めてすぐに、俺が衣類だけ残して消えてしまったことに驚いて隣の部屋まで訪ねに行った大塚が面白かったので、疲れのとれない身体を大塚のいなくなった俺の布団に横たえ、笑いながらよしとした。
二度寝していた俺を見つけて、大塚が更に混乱したのは言うまでもない。