電車に揺られながら、携帯に届いたメールを読み直し、一年ほど前の忘年会という名の飲み会で告白をしたことを思い出す。
その頃の俺は、大塚を避けていた。
親しい友人というには少々遠く、知人というには近い距離感であった大塚に、見ているだけでは満足できず、気持ちをぶちまけそうになっていたからだ。
勝負を仕掛けるにしても、もう少し親しくなった方がいいにも関わらず、湿気ているにも程がある心持ちで大塚を遠くから見つめる日々を送っていた。行動を起こして親しくなって、ないに等しくても勝率をあげるべきであったのに、気がついたときには、言うか、言わざるか、どちらかしかないように思っていた。
おおよそ一年。正確には、一年とすこし前の俺は、あの仕方ないと思わせる男に何を遠慮していたのか、それとも男のくせに乙女のように恥じらっていたのか、思いつめて、自分の世界がたった一つの方向にしかないように思っていた。
馬鹿らしい。
好かれてもいないのに付き合うということに固執してしまった俺も、告白が世界の終わりみたいに思っていた俺も、こうして長くもない通勤時間を大塚に使い切ってしまったことも、本当に馬鹿らしい。
「なんか無性に大塚殴りてぇ」
とんだ八つ当たりだが、俺にはその権利があるような気がしてならない。
「何、俺も手伝うけど」
知った声が聞こえた。
俺の職場は、夜に賑わう繁華街の一部に存在する。
俺のように出勤する人間や、今から飲みの待ち合わせの人間、接待をするためにやってきた人間。多くの人々が忙しなく動き回っている。
その中の誰かの一人が、俺の声に振り向き、答えた。
俺も、誰かの中の一人となっていたのだから、その誰かを確認することもなく通り過ぎようとしていた。
「おいおいおい、ちょっと待て待て」
そういって、俺に近寄って肩を掴んできたのは野々村だった。
大塚のことを考え、呟いたにも関わらず、通り過ぎた改札の近くで、俺に答えたのは野々村で、こんなところでも大塚と野々村は引き合うものなのかと、少し気分がよろしくない。
だから大塚に腹立ちついでに、無視をしてやってもいいだろうと思ったのだ。
それは舌打ちもしてしまう。
「たっつんって、軽く人のこと無視するよなァ」
野々村は大塚さえ居なければ、俺にとって何という存在ではない。
だが、自分のこと以外にあまり興味がなさそうな野々村は、何故か俺のことをマブダチ扱いしている。これは大変不満であった。
「気のせいじゃないか?」
わざとらしく首を傾げてやると、肩を掴んでいた手がすべり、肩を組まれてしまった。
「気のせいじゃねェよォ、つめてェなァ」
俺にとっては恋敵といっていい男であるのに、この気安さが好きになれない。
大塚と付き合っていることは隠していないし、あからさまにそうであるようにしているわけでもない。まして、付き合っているからといって大塚と野々村の関係に引きずられたりもしない。
実は、大塚と野々村は仲が悪いわけでない。いいとは言い難いが、そう、悪いわけではない。
挨拶がわりに喧嘩をするくせに、それなりに話すし、長いこと一緒の空間にいることを厭わない。
だから、野々村は俺が大塚の恋人であろうと、こうして気軽に話しかけてくれた。
はじめて言葉を交わした時から気に入られている。
はじめての言葉が、大塚の悪口だったのが良くなかったのかもしれない。
それと、俺がヤンチャをしていたのも良くなかった。
何故か、俺は野々村にヤンチャをしていた頃のことを高く評価されている。
「余計なものは目に入れたくない主義だ」
「よく言うよなァ。たっつんほどうまいこと周りに溶け込んでるイケメンってイネェよ」
「日本語理解しろ。目に入れたくないだ。目に入ってくるもんはしかたねぇから流してんだよ。わかるか。わかんねぇだろ。だから、俺に絡んでねぇで綺麗なネェちゃんみつけてナンパでもしてふられろ」
野々村はオーバーリアクション気味に肩を下げた。大げさな男だ。いつ会ってもこれなのだから、それは大塚ではなくても、鼻につくだろう。
俺は野々村の腕から抜け出し、いつもどおり人ごみを縫うように足を進める。すぐに大通りから建物がゴミゴミと建っている小道に入った。
夕方から開く多くの店から色々な匂いと湯気がたっている。今日もこれからひと勝負しようという意気込みより、毎晩、飯を用意してくれる家のようなものを感じつつ、俺は足を動かす。
「いつまでついてくるつもりだ」
「今日、大塚の馬鹿見かけたんだけどよォ」
その馬鹿も人の話をきかないが、野々村ほどではない。
放っておけば勝手に喋りだす野々村は、俺が嫌な顔をして職場に向かっているにも関わらず、話し続ける。
「アイツ、あんなカビくせェとこで働いてんだな」
大塚が働いているのは古物商の店の一つで、昼頃からホコリをはたいたり、商品を乾拭きしたりして働いている。そこの店長は資産家らしく、ほとんどその店を趣味で開けていた。大塚は色々な場所に出張して帰ってこない店長の代わりに商品管理を行うことが仕事となっている。
あれでもやたらといい大学を出ており、俺にはどこで必要になるかわからないような資格も持っている。
「自分ができねぇから羨ましいのはわかるが、俺に絡むな」
俺よりも博学である大塚に叶わないのは、なにも俺だけではなく野々村もそうなのだ。
「羨ましくなんてネェよ、あんなカビくせェの」
「じゃあ、俺についてくるのはやめねぇか」
「俺もそっちに用があんだよ」
ようやくたどり着いた店の裏口を睨みつけながら、首をふる。
「うちに用じゃねぇよな?」
「たっつんのバーテンダー姿を見ながら、酒のみたくなったの」
ドアノブに手を伸ばし、吐き捨てるように呟く。
「まだ開店しねぇよ。つうか来んな。お前らほんと、似た者同士な」
「おい、おまえらっての俺と大塚じゃねぇだろな」
答えずに俺は、店の中に入った。
後ろから煩い声が聞こえていたが、無視した。