どんなに王子を尊敬するような出来事があって、なんとか夜をやり過ごしても、朝には王子を殴りたくなる。
「……ん、今日もよだれが出そうないい男だな……」
シノーラ魔法学園の授業は必修というものが存在しない。そのため、各々自由に卒業資格を得るまで、生徒資格がある限り生徒でいられる。
順当にいけば、季節が一巡する間に一学年を終了し、最高五学年で卒業資格を得られるはずだ。
王子は最高学年である五学年であり、卒業するにはあと卒業試験だけである。王子の好きな時に起き、好きな時に授業を受けられるほどの余裕があった。
しかし、王子は俺に朝の準備をさせ、一日の始めに顔を合わせ、わざわざからかうのだ。
「王子、あまり従者を構うとつけあがって勘違いしますよ」
俺が少しでも反応すると、布団から顔を出したばかりの王子は嫌な笑みを浮かべる。
「いい男なのは、つけあがっていいぞ」
俺が王子に言いたかったのは、お世辞を言うなということではない。構われ過ぎて、王子に良からぬ気を起こすということだ。
「それはどうでもいいですから」
「よくねぇだろ、俺のケツを預けるなら、そこは選り好みてぇし」
従者が良からぬ気を起こすことは、そんなことを言う王子にとっては本望かもしれない。だが、ふてぶてしく品のない王子を見ていると、良からぬ気にはなりそうもなかった。
「聞いてませんし、いつの間にその選択、一択になったんですか、あ、答えなくていいです」
「せっかくのいい男を言うがままに従えてもいいと思ったんだが、従者の下剋上、狙われた王子の処女……というのに憧れて」
王子が布団から顔だけでなく上半身も出し、起き上がる。俺は寝台の横にある机の上に出しておいた上着を手に取り、王子の肩にそれを掛けた。
「何処の三流春本ですか。あと答えないでください」
「処女なんですかって聞いてくれても構わないんだぜ」
俺の掛けた上着の袖に腕を通し、王子が爽やかな朝にふさわしい笑みを浮かべた。言っていることはまったく爽やかではないという自覚は、布団の中で温めたまま置き去りのようだ。
「俺の話は無視なんですね」
「まぁ、処女じゃねぇけど」
「聞いてませんし、驚きませんから、今更」
王族の私生活の秘密はあってないようなものである。王子の性生活などとうの昔に筒抜けだ。
団長にも、俺は団長の娘さんなのだろうかと思ってしまうような忠告を受けた。王子は必中の狙撃手なので、どこを狙われてもご馳走様をされてしまうそうだ。もし、上司の言うことでなければ、鼻で笑いたかったくらいである。
「やはり護衛官は手強いか」
よく言ったものだ。それこそ狙い定め、良からぬ気を起こさせ、夢中にさせた王子に言われては、悪態をつきたい気分にしかならない。
「いえ、俺は庶民ですから、食べ慣れない高級なものを食べると腹を下しますので」
「へぇ、結局食うのか」
たとえを間違えたと舌打ちしたい気分になったが、舌に言葉をのせることで阻止した。
「食べたら腹を壊すとわかっていて食べるような冒険はしない主義です」
そんな俺の代わりに王子が舌打ちを響かせる。そして王子は先程の爽やかさが嘘のような、悪党面になった。
「その滑らかなお口に無理矢理ねじ込んでやろうか」
なんとも恐ろしい話だ。ゆっくりと首を横に振り、王子より先に移動する。
「怖いのでご遠慮します」
俺が扉の横に立つと、王子は軽装のまま私室から出た。
朝のこのくらいは、学園の生徒は例外がない限り、食堂で食事をする。普通の例外は、病気であったり用事であったりするのだが、王子にこれは当てはまらない。王子は存在自体が例外らしく、朝と夕は大体この部屋で食べるのだ。
だから、王子が朝に軽装でも問題はなかった。
けれど、王子が毎日楽な格好で一人で食事をしているわけではない。
フォー様が寂しいと言って、できる限り一緒に食事をしようとするので、王子が一人で食べていることはむしろ少ないくらいだ。
今朝は、フォー様も夜遊びが過ぎたようで、部屋に来ない。
「なんだ、今日は二人きりか」
私室を出てすぐ、少し大きめの机の上にある一人分の食事を確認した王子がポツリと呟く。まるで詰まらないと言っているようである。
「はい。フォー様から伝言がありました。朝食時は起きれないから昼は一緒に食べたいそうです」
「わかった。昼には食堂に向かう」
フォー様と違い、王子は一人で食事をすることに思うところはないらしい。詰まらなさそうな様子ではあるものの、フォー様のように気を落とすことはなかった。
王子が食卓につくと、俺は王子と少し離れた位置で王子の食事が終わるまで待つ。
食事をしている姿は見ないように王子の周囲に気を配らなけばならないと、短い期間で行われた護衛官の研修では習っていた。セルディナからは公の場以外で気にする必要はないし目を離したら何をするかわからないから気をつけろと言われている。