俺はリッドの声をしっかり耳に入れながら、細く長く息を吐き出し、息を吸うと走り出す。
 上級魔法など一つきりしか使えない上に防御魔法も得意と言えない俺は、防ぐことよりも避けること、呪文を完成される前に邪魔をすることを優先している。俺とリッドの距離はさほど開いていない。リッドが呪文にだけ集中するのならば、詠唱を邪魔することは可能だ。
 しかし、リッドがそれだけに集中するのなら槍を召喚する必要もなければ構える必要もない。
 リッドの呪文詠唱が終わる前に、俺は剣鉈の刃に意識を向けた。
 思い出すのは冷たさだ。冬には、吐き出すたびに息すら凍り付いて粒になって落ちそうな、そんな寒さである。雪に埋もれる重たさと、静寂、時間すらもわからなくなるような、遠く、閉じこもった雰囲気だ。
 それを硬い氷にして刃を覆う想像を、言葉と共に吐き出す。
「凍れ」
 リッドの目が見開かれると同時に一気に距離を詰め、懐に入ろうとする。するとリッドは詠唱をやめることなく、槍を突き出した。
 俺は身を小さくし、槍の下方を伝うように距離を詰める。リッドが後方へと跳躍した。
 俺も追うようにして跳んだが、身を低くしていたせいでうまく跳べずに、リッドとの距離が開く。俺は剣鉈を逆手に持ち直すと、右から左へと凪ぐ。刃にあった氷の一部はリッドに向かって飛んで行った。
「荒れろ、荒れろ、荒れろ、世界を燃やし尽くせ、炎の怒りよ」
 そこでリッドの呪文が完成し、細長い炎の柱にも見える竜巻が四本俺に向かって放たれる。演習場の仕掛けのおかげで、竜巻の本数と大きさが変わっているようだ。しかし、その炎に当たれば、大火傷は免れないだろう。俺の放った氷もその炎に当たり解けてしまった。
 俺は足を止めず、炎の動きを見ながら、空いている左手を動かす。何度も指で違う形を素早く作り、最後に中指と薬指を掌につけ、小指と人差し指を軽く折った。
 すると、俺の意志を指で組まれた印で読み取ってくれた精霊が一瞬、水の膜を俺の前に作ってくれる。留まって耐えるには頼りない防御であるが、一瞬の時間を作るには有効な膜だ。
 その膜に炎が触れる瞬間を見計らい、俺は大きく横に跳ぶ。炎は膜を蒸発させた後、俺のいた場所を通り過ぎた。
 攻撃魔法が当たらなかったことよりも、呪文も唱えず魔法を使ったことのほうがよほど驚いたのだろう。リッドが珍しく声を張り上げた。
「呪文は!」
 リッドの言いたいとこは、騎士学校に入った頃からよく聞かれるので解っている。だが、戦闘中に答えてやるつもりはない。
 俺は足も左手も止めず、再び、硬く閉ざされた冷たい世界を思い浮かべる。村の中は温かかったが、一人と一匹で歩く冬の山や森は、時に恐ろしかった。しかしそれよりも恐ろしいものを俺は知っている。暗く、冷たく、感触も薄れていく一方の、何もないものだ。
 それは呪いが見せ、感じさせたものだった。皮肉にも、その呪いにより俺は上級魔法を一つ使えるようになったのだ。
 クラウザ・グラウシスという他人を閉じ込めるための氷塊をつくる魔法である。
「寒い……?」
 誰かが呟く声をうまく耳が捕らえた。魔法の威力が下がるこの演習場でも問題なく氷塊が現れることを確信し俺は、再びリッドとの距離を詰める。
 そうして俺がリッドに近づこうとしてもリッドは後方に下がりつつ、素早い突きを何度も繰り出し、邪魔をした。その上たまに大きな一撃を繰り出し、俺を後退させもする。リッドの槍は俺の剣鉈と相性が悪い。剣鉈は短く、槍が長いからだ。そもそも剣鉈は戦うための道具ではない。戦闘を行う上で不利だ。そんなことは騎士学校に入る前から理解している。
 剣鉈で出来ることは止めを刺すこと、狩りの獲物の解体をすることだ。
 だからこそ、俺は、戦闘も狩りと同じように追い込むことにしている。
 左手で最後の印を組むと、俺はリッドの後方、僅か左にクラウザ・グラウシスを発動させた。
 それと同時に俺はまた距離を詰める。後方に下がろうとしたリッドは、他人を閉じ込められるほどの大きさを持たない氷塊に阻まれ少ししか後退出来ず、せめて槍で俺を後退させるために大きな一撃を放とうと肘を引いた。それすらも、氷塊に阻まれる。
 リッドがしまったという顔をした時には、俺はリッドの懐にもぐりこみ、首に剣鉈の刃を当てた。
「…………降参だよ」
 重量のある金属が、煉瓦に当たり大きな音を立てる。槍を手放し両手を上げたリッドから、俺は剣鉈を遠ざけた。その後、開始時と同じように細く長く息を吐く。少し緊張していた上に、集中していたらしい。拾いたくもない他人の話し声が急に耳に飛び込んできた。
「中間、ロノと組もうよ、セルディ。絶対楽だよ」
「それは確かにいいですね。後ろで応援しているだけで終わりそうですし」
 俺の実力を見ていながら疑う者、八百長だと言う者の中から、フォー様とセルディナの呑気な話し声が耳に入ってくる。なんとなく、王子が二人を大切にしている理由がわかるようだった。
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